日本歴史地名大系 「藤沢郷」の解説 藤沢郷ふじさわごう 長野県:上伊那郡高遠町御堂垣外村藤沢郷[現在地名]高遠町藤沢の境域についてはつまびらかでない。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日の条に乃貢未済庄々注文として、「黒河内・藤沢 無庄号字之由、今度尋捜之処、新為諏方上下社領、仍不随国衙進止」とあり、黒河内(くろごうち)と藤沢には庄号がついていないが、諏訪上下社領として荘園になったことが記されている。次いで同年一一月八日の条の「御奉寄地黒河内藤沢」における藤沢余一盛景の非法に対する源頼朝の下文には「右件両郷、御寄進諏訪大明神之外、全無他勤」「早任先例且勤仕御狩、且可令修造拝殿之状」と忠実に神役を勤めるよう命じている。 藤沢郷ふじさわごう 群馬県:上野国勢多郡藤沢郷「和名抄」高山寺本には記載されず、東急本には「布知左波」と訓じている。郷域について「大日本地名辞書」は大胡(おおご)(現大胡町)、富田(とみだ)(現前橋市)辺りとするが、明らかでない。「日本地理志料」は泉沢(いずみさわ)(現前橋市)を中心に関(せき)・大久保(おおくぼ)(現新里村)、月田(つきだ)・稲里(いなさと)(現粕川村)、馬馬(ばば)・苗(なえ)ヶ島(しま)・鼻毛石(はなけいし)・市之関(いちのせき)・三夜沢(みよさわ)・柏倉(かしわぐら)(現宮城村)、滝窪(たきくぼ)(現大胡町)にわたる地とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報