改訂新版 世界大百科事典 「藤舎芦(呂)船」の意味・わかりやすい解説
藤舎芦(呂)船 (とうしゃろせん)
歌舞伎囃子方と東流(あずまりゆう)二弦琴の家元名。初世藤舎芦船(1830-89)はもと能楽観世流太鼓方。江戸時代末期に歌舞伎囃子方に転向し,5世望月太左衛門の門弟となり初世望月太意次郎を名のる。1859年(安政6)ころより歌舞伎の太鼓方,小鼓方を勤める。明治初年に藤舎芦船を名のり,浄瑠璃や長唄によって能を舞う吾妻能狂言(あづまのうきようげん)に参画し,2世杵屋(きねや)勝三郎の吾妻能狂言《安達原》《船弁慶》の作曲に有力な助言を与えたという。また,歌舞伎囃子のほうでは太鼓方として活躍した。さらに大岸元琴について八雲琴(二弦琴)を学び,これを改良して東流二弦琴と名づけ,その家元となり,明治中期には二弦琴の全盛期を迎えた。二弦琴の家元としての芦船の名跡は現在まで7世を数える。一方,歌舞伎囃子方では9世望月太左衛門の門弟2世望月太意次郎(1909-77)が1952年に藤舎家を再興,芦船を呂船と改めて襲名し家元となった。彼は東流二弦琴とは関係なく4世藤舎呂船を名のった。小鼓の名手で,7世芳村伊十郎,3世今藤長十郎,呂船による古典の演奏や創作邦楽は高く評価された。5世(1913-99)は7世望月太左衛門の娘で4世呂船の妻女であるせい子が,78年に襲名した。
執筆者:植田 隆之助
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