デジタル大辞泉
「芳村伊十郎」の意味・読み・例文・類語
よしむら‐いじゅうろう〔‐イジフラウ〕【芳村伊十郎】
長唄唄方。
(6世)[1859~1935]駿河の生まれ。豪快な芸風で、明治後期から昭和初期にかけて一世を風靡した。
(7世)[1901~1973]東京の生まれ。声量豊かな美声で人気が高かった。
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芳村伊十郎 (よしむらいじゅうろう)
長唄の唄方。伊十郎名義は元来,芳村派の家元名芳村伊三郎の控え名として用いられてきたが,3世と7世は伊三郎を襲名していない。伊十郎は現在まで8世を数えるが,6世と7世が著名。(1)初世(1735-1820・享保20-文政3) 2世芳村伊三郎の前名。前身は建具職人といわれる。初世伊三郎の門弟で,1794年(寛政6)伊十郎から2世伊三郎を襲名した。優れた門弟に恵まれ,芳村派繁栄の基礎をつくる。(2)2世(1754-1833・宝暦4-天保4) 本名中村屋平蔵。前身は鍛冶職といわれる。初名初世伊四郎。1808年(文化5)2世伊十郎を襲名,2世坂田仙四郎を経て,24年(文政7)3世伊三郎を襲名。(3)3世(1799-1854・寛政11-安政1) 2世吉住小三郎の前名。(4)4世(1832-82・天保3-明治15) 本名石川清之丞。2世吉住小三郎の門弟,のち4世伊三郎の養子となる。前名は伊千三郎。1856年(安政3)4世伊十郎を,59年5世伊三郎を襲名する。明治初期を代表する唄方として2世松島庄五郎と並び称せられた。(5)5世(1823-1902・文政6-明治35) 本名中村万吉。3世芳村伊四郎の養子。前名4世伊四郎。1860年(万延1)5世伊十郎を,93年6世伊三郎を襲名。(6)6世(1858-1935・安政5-昭和10) 本名鵜沢徳蔵。初め5世富士田千蔵に師事,のち5世伊十郎の門弟となる。前名5世伊四郎。1893年に6世伊十郎を襲名。以後,名声を高め長唄界の第一人者となる。1922年8世伊三郎の名を贈られたが,〈8世芳村伊三郎事芳村伊十郎〉と名のり,伊十郎の名前で芳村の家元を相続した。芸風は豪快で,大薩摩物を得意とした。(7)7世(1901-73・明治34-昭和48) 本名太田重次郎。6世伊十郎の門弟の7世伊四郎の養子。6世伊十郎の妻杵屋六葉満(きねやろくはま)に師事,のち3世杵屋栄蔵(9世芳村伊三郎の名前を兼ねる)の指導をうける。前名9世伊四郎。1950年7世を襲名。劇場長唄,演奏会長唄ともに唄方の第一人者として,一堂を圧する芸を聞かせた。声量豊かな美声家で《勧進帳》《二人椀久》などを得意とした。56年重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)に認定された。
執筆者:植田 隆之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
芳村 伊十郎(7代目)
ヨシムラ イジュウロウ
- 職業
- 長唄唄方
- 肩書
- 長唄協会会長 重要無形文化財保持者(長唄・唄)〔昭和31年〕
- 本名
- 太田 重次郎(オオタ シゲジロウ)
- 別名
- 前名=芳村 辰三郎(2代目),芳村 金五郎(4代目),芳村 伊四郎(9代目)(ヨシムラ イシロウ),別名=大薩摩 芳英太夫
- 生年月日
- 明治34年 8月23日
- 出生地
- 東京市 浅草区(東京都 台東区)
- 経歴
- 7代目芳村伊四郎の養子となる。大正8年8代目伊四郎に入門、10年2代目辰三郎を名乗る。杵屋六葉満(6代目伊十郎夫人)に師事。昭和8年4代目芳村金五郎、13年9代目伊四郎となり、同時に大薩摩芳英太夫を継ぐ。25年7代目伊十郎を襲名。24年から長唄協会理事長を務め、40年会長となるが、42年に脳血栓で療養生活に入る。舞台では杵屋栄蔵・栄二、演奏会では山田抄太郎、今藤長太郎らとコンビを組み、一堂を圧する美声で抜群の存在だった。「勧進帳」「二人椀久」を得意とし、31年人間国宝に認定され、32年芸術院賞を受賞。レコードに「七代目芳村伊十郎」「芳村伊十郎独吟集」「九世芳村伊四郎全集」などがある。平成6年全盛期に録音したレコードや演奏会のテープをもとに30枚組のCD「長唄大全集」が発売された。
- 受賞
- 日本芸術院賞(昭31年度)〔昭和32年〕 勲三等瑞宝章〔昭和48年〕 芸術祭賞奨励賞(第7回 昭27年度)「橡の木」,NHK放送文化賞〔昭和31年〕
- 没年月日
- 昭和48年 9月20日 (1973年)
- 家族
- 養父=芳村 伊四郎(7代目),息子=芳村 伊四郎(10代目),芳村 伊四郎(11代目)
芳村 伊十郎(6代目)
ヨシムラ イジュウロウ
- 職業
- 長唄唄方
- 本名
- 鵜沢 徳蔵(ウザワ トクゾウ)
- 別名
- 前名=芳村 金五郎(3代目),芳村 伊四郎(5代目),別名=芳村 伊三郎(8代目),十寸見 舛魚,大薩摩 文太夫(4代目)
- 生年月日
- 安政5年 12月17日
- 出生地
- 駿河国藤枝(静岡県)
- 経歴
- 8歳の時、2代目杵屋弥吉の門に入る。明治6年16歳の時上京し、5代目芳村伊十郎(後の6代目伊三郎)に師事し、3代目芳村金五郎を名乗る。17年5代目伊四郎を襲名。23年歌舞伎座で立唄に昇進、次いで26年同座で6代目芳村伊十郎を襲名し、「勧進帳」をつとめた。明治後期の長唄界の第一人者で、大薩摩物を得意とし、曲に「暫」「勧進帳」「筑摩川」などがあり、「楠公」「鏡獅子」などを初演した。大正11年8代目宗家伊三郎の名を贈られたが、名義は6代伊十郎のままで芳村の家元を相続した。
- 没年月日
- 昭和10年 10月3日 (1935年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
芳村伊十郎
よしむらいじゅうろう
長唄(ながうた)唄方。芳村家の家元名は伊三郎であり、伊十郎は5世までは伊三郎の控え名として使われていた。現在まで8世を数えるが、6世と7世が著名。初世(1735―1820)は初世伊三郎の門弟で、2世芳村伊三郎の前名。2世(1754?―1833)は初世伊十郎の門弟、3世伊三郎の前名。3世(1799―1854)は2世伊十郎の門弟で、後の2世吉住小三郎が名のった。4世(1832―82)は4世伊三郎の養子で、5世伊三郎の前名。この人は明治初期の代表的唄方の一人であった。5世(1823―1902)は3世芳村伊四郎の養子で、6世伊三郎になった人の前名。
[渡辺尚子]
(1858―1935)5世伊十郎の門弟。前名は5世伊四郎。1893年(明治26)6世を襲名する。1922年(大正11)に8世伊三郎の名跡を贈られたが、伊十郎のままで通した。豪快な芸風で、とくに大薩摩(おおざつま)物を得意とし、長唄界の第一人者となった。
[渡辺尚子]
(1901―73)7世伊四郎の門弟、のち養子となる。前名は9世伊四郎。1950年(昭和25)7世を襲名。声量豊かな美声家で、『勧進帳(かんじんちょう)』『二人椀久(ににんわんきゅう)』などを得意とし、第二次世界大戦後の長唄界の第一人者であった。長唄協会理事長、同会長を勤める。重要無形文化財保持者。
[渡辺尚子]
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芳村 伊十郎(7代目)
ヨシムラ イジュウロウ
大正・昭和期の長唄唄方
- 生年
- 明治34(1901)年8月23日
- 没年
- 昭和48(1973)年9月20日
- 出生地
- 東京・浅草
- 本名
- 太田 重次郎
- 別名
- 前名=芳村 辰三郎(2代目),芳村 金五郎(4代目),芳村 伊四郎(9代目)(ヨシムラ イシロウ),別名=大薩摩 芳英太夫
- 主な受賞名〔年〕
- NHK放送文化賞〔昭和31年〕,日本芸術院賞〔昭和32年〕
- 経歴
- 7代目芳村伊四郎の養子となる。大正8年8代目伊四郎に入門、10年2代目辰三郎を名のる。昭和8年4代目芳村金五郎、13年9代目伊四郎となり、同時に大薩摩芳英太夫を継ぐ。25年7代目伊十郎を襲名。24年から長唄協会理事長を務め、40年会長となるが、42年に脳血栓で療養生活に入る。舞台では杵屋栄蔵・栄二、演奏会では山田抄太郎、今藤長太郎らとコンビを組み、一堂を圧する美声で抜群の存在だった。「勧進帳」「二人椀久」を得意とし、31年人間国宝に認定され、32年芸術院賞を受賞。レコードに「七代目芳村伊十郎」「芳村伊十郎独吟集」「九世芳村伊四郎全集」などがある。平成6年全盛期に録音したレコードや演奏会のテープをもとに30枚組のCD「長唄大全集」が発売された。
芳村 伊十郎(6代目)
ヨシムラ イジュウロウ
明治〜昭和期の長唄唄方
- 生年
- 安政5年12月17日(1859年)
- 没年
- 昭和10(1935)年10月3日
- 出生地
- 駿河国藤枝(静岡県)
- 本名
- 鵜沢 徳蔵(ウザワ トクゾウ)
- 別名
- 前名=芳村 金五郎(3代目),芳村 伊四郎(5代目),別名=芳村 伊三郎(8代目),十寸見 舛魚,大薩摩 文太夫(4代目)
- 経歴
- 8歳の時、2代目杵屋弥吉の門に入る。明治6年16歳の時上京し、5代目芳村伊十郎(後の6代目伊三郎)に師事し、3代目芳村金五郎を名のる。17年5代目伊四郎を襲名。23年歌舞伎座で立唄に昇進、次いで26年同座で6代目芳村伊十郎を襲名し、「勧進帳」を務めた。明治後期の長唄界の第一人者で、大薩摩物を得意とし、曲に「暫」「勧進帳」「筑摩川」などがあり、「楠公」「鏡獅子」などを初演した。大正11年8代目宗家伊三郎の名を贈られたが、名義は6代伊十郎のままで芳村の家元を相続した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
芳村伊十郎(6代)
没年:昭和10.10.3(1935)
生年:安政5.12.17(1859.1.20)
明治から昭和にかけての長唄唄方。はじめ駿河国(静岡県)藤枝で5代目富士田千蔵に学んだ。16歳で上京したのちは5代目芳村伊十郎の門弟となり,明治26(1893)年に師が芳村家の家元名である6代目伊三郎を継ぐと同時に6代目伊十郎を襲名する。大正11(1922)年には8代目伊三郎の名を譲られるが結局,伊十郎で通した。常に13代目杵屋六左衛門と5代目杵屋勘五郎と共に活動し,明治37年には「長唄音楽会」を組織した。「楠公」「鏡獅子」などの初演を勤め,名人として終生,歌舞伎座や帝国劇場などに出演,歌舞伎とともに歩んだ唄方であった。伊十郎の名跡は,昭和期の7代まで続いた。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
芳村伊十郎(6代) よしむら-いじゅうろう
1859*-1935 明治-昭和時代前期の長唄唄方。
安政5年12月17日生まれ。5代伊十郎(6代芳村伊三郎)の門弟。3代芳村金五郎,5代伊四郎をへて,明治26年6代伊十郎を襲名。長唄界を代表する名人となる。大正11年8代伊三郎の名をおくられたが,伊十郎のままとおした。昭和10年10月3日死去。78歳。駿河(するが)(静岡県)出身。本名は鵜沢(うざわ)徳蔵。
芳村伊十郎(7代) よしむら-いじゅうろう
1901-1973 大正-昭和時代の長唄唄方。
明治34年8月23日生まれ。7代芳村伊四郎の養子となる。9代伊四郎をへて,昭和25年7代伊十郎をつぐ。「勧進帳」「二人椀久(ににんわんきゅう)」などを得意とした戦後長唄界を代表する名人。長唄協会理事長,同会長。31年人間国宝。32年芸術院賞。昭和48年9月20日死去。72歳。東京出身。本名は太田重次郎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
芳村伊十郎(3世)
よしむらいじゅうろう[さんせい]
[生]寛政11(1799)
[没]安政1(1854)
長唄唄方。3世芳村伊三郎 (2世伊十郎) の門弟で五郎治。芋屋を家業としていたため,芋五郎と呼ばれた。のち吉住小八となり,文政7 (1824) 年3世伊十郎を襲名。事情があって芳村姓を返上し,2世吉住小三郎となった。天保年間 (1830~44) 頃の名人といわれた。
芳村伊十郎(6世)
よしむらいじゅうろう[ろくせい]
[生]安政5(1858)
[没]1935
長唄唄方。6世芳村伊三郎 (5世伊十郎) の門弟。 1893年に6世伊四郎から6世を襲名,1922年8世伊三郎を譲られたが,これは陰の名として使用しなかった。大正から昭和初期にかけて,歌舞伎長唄発展のために尽した代表的唄方。
芳村伊十郎(7世)
よしむらいじゅうろう[ななせい]
[生]1901.8.23. 東京
[没]1973.9.20. 東京
長唄唄方。本名太田重次郎。8世芳村伊四郎の養子。 1950年9世伊四郎から7世伊十郎となる。その美声は当代随一といわれた。長唄協会理事長,同会長を歴任。重要無形文化財保持者。日本芸術院賞受賞。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
芳村伊十郎【よしむらいじゅうろう】
長唄唄方の芸名。8世まである。6世〔1858-1935〕は初名富士田千平。豪快な唄い方を得意とし,人気を博した。7世〔1901-1973〕は本名太田重次郎。1950年伊十郎襲名。美声であるうえに声量にも恵まれ,唄方としての第一人者といわれた。1956年人間国宝。
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芳村 伊十郎(7代目) (よしむら いじゅうろう)
生年月日:1901年8月23日
大正時代;昭和時代の長唄唄方。長唄協会会長
1973年没
芳村 伊十郎(6代目) (よしむら いじゅうろう)
生年月日:1859年12月17日
明治時代-昭和時代の長唄唄方
1935年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の芳村伊十郎の言及
【富士田音蔵】より
…1841(天保12)2世を襲名。声量豊かで美声であったことから〈美音の音蔵〉と呼ばれ,岡安喜代八,3世[芳村伊十郎]とともに天保の三名人に数えられている。中村座,市村座の立唄として活躍。…
【吉住小三郎】より
…初名芳村五郎治。その後,吉住小八,3世[芳村伊十郎],花垣五郎三郎を名のり,1846年(弘化3),2世吉住小三郎を襲名。もと江戸の四谷で芋屋を営んでいたことから〈芋五郎の小三郎〉と呼ばれた。…
※「芳村伊十郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」