望月太左衛門
もちづきたざえもん
歌舞伎囃子(かぶきはやし)方(鳴物師)望月家の家元名。小鼓(こつづみ)方宇野長七の門弟で、安永(あんえい)年間(1772~81)に活躍した太左衛門を初世とし、今日まで12世を数える。2世は初世の門弟が継ぎ、3世の芸系は不明だが、隠居して初世朴清(ぼくせい)を名のった。
[茂手木潔子]
(1784―1861)1814年(文化11)襲名。鳴物の記譜法を考案、のち2世朴清を名のる。望月家隆盛の基盤を確立した人。
[茂手木潔子]
(?―1859)4世の女婿。前名初世福原百之助(ひゃくのすけ)。1855年(安政2)襲名。
[茂手木潔子]
(1830―74)4世の門弟。前名太喜蔵(たきぞう)。1869年(明治2)襲名。
[茂手木潔子]
(1862―1938)仙台の囃子方堅田喜三久(かただきさく)の長男。上京して6世の門弟となり、1905年(明治38)襲名。望月家の黄金時代を築いた傑物で、『新曲浦島(うらしま)』など長唄(ながうた)の作調に優れた業績を残した。20年(大正9)長男に8世(1891―1926)を譲って3世朴清を名のった。8世が早世したため9世(1902―46)は7世の四男が継ぎ、10世(1923―87)は8世の長男が46年(昭和21)に継いだ。
[茂手木潔子]
(1934―2007)9世の長男。父および伯母の望月初子(1895―1988)に師事。前名5世長左久(ちょうさく)。1988年に11世を襲名。1993年(平成5)4世朴清を襲名。12世は10世の長男が譲り受けた。
[茂手木潔子]
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望月太左衛門 (もちづきたざえもん)
長唄囃子方。現在まで10世を数えるが7世が著名。望月太左衛門の名前が最初にあらわれるのは1773年(安永2)11月,江戸中村座の小鼓方であるが,3世までは不明な点が多い。(1)初世 生没年不詳。宇野長七の門弟といわれ,前名柏崎吾四郎。故郷の信州姨捨(おばすて)山の田毎(たごと)の月から思いついて望月を姓としたという。(2)2世 生没年不詳。三味線方2世柏崎権兵衛の三男,2世柏崎吾四郎がついだという。俳名黙翁。(3)3世 生没年不詳。芸歴および2世との関係は不明。隠退後,朴清(ぼくせい)と改名したという。1804年(文化1)から07年にかけて太鼓方として記録にあらわれている太左衛門は2世か3世か不明。(4)4世(1784-1861・天明4-文久1) 前名柏崎林之助。3世の門弟か。1814年(文化11),太左衛門を襲名。望月流繁栄の基礎をつくる。55年(安政2),2世朴清となる。(5)5世(?-1859(安政6)) 前名福原百之助。4世の娘婿。1855年太左衛門を襲名。(6)6世(1830-74・天保1-明治7) 4世の門弟。前名太喜蔵。1869年に太左衛門を襲名。(7)7世(1862-1938・文久2-昭和13) 6世太左衛門および3世望月長九郎の門弟。前名4世望月長九郎。1905年太左衛門を襲名。20年,3世朴清と改める。長唄囃子界に君臨し,望月流の全盛期を築きあげた。《新曲浦島》《多摩川》《楠公》《五条橋》など多くの作調(さくちよう)(長唄に囃子をつけること)がある。太左衛門の襲名と同時に,2世宝(たから)山左衛門も太左衛門を襲名し,二人太左衛門時代が出現したが,1910年,山左衛門の太左衛門が没して問題は解決した。(8)8世(1891-1926・明治24-昭和1) 7世の長男金三郎。前名長左久。1920年太左衛門を襲名。市村座で活躍していたが,早逝した。(9)9世(1902-46・明治35-昭和21) 7世の三男光之助。前名長左久。1928年太左衛門を襲名。《望月流改訂長唄囃子手附》の著がある。(10)10世(1923-87・大正12-昭和62)8世の長男一太郎。1946年太左衛門を襲名。
執筆者:植田 隆之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
望月 太左衛門(10代目)
モチヅキ タザエモン
- 職業
- 長唄囃子方
- 専門
- 鳴物
- 肩書
- 望月流家元,歌舞伎囃子協会副会長
- 本名
- 安倍 一太郎(アベ イチタロウ)
- 別名
- 前名=望月 長佐久(4代目)
- 生年月日
- 大正12年 12月12日
- 出生地
- 東京
- 学歴
- 日大一中〔昭和13年〕中退
- 経歴
- 昭和15年より6代目尾上菊五郎付として修業し、21年10代目太左衛門を襲名。歌舞伎囃子界の第一人者で、菊五郎劇団の舞台をつとめるかたわら、後進の指導にも当たった。
- 没年月日
- 昭和62年 5月12日 (1987年)
- 家族
- 父=望月 太左衛門(8代目)
- 親族
- 叔父=望月 太左衛門(9代目)
望月 太左衛門(8代目)
モチヅキ タザエモン
- 職業
- 長唄囃子方
- 肩書
- 望月流家元
- 本名
- 安倍 金三郎
- 別名
- 前名=望月 長左久(2代目)
- 生年月日
- 明治23年 4月
- 出生地
- 東京市 日本橋区横山町(東京都)
- 経歴
- 幼児より父に師事し、明治38年2代目望月長左久を名乗る。大正9年父が隠居するとともに、8代目太左衛門を襲名し、家元を継いだ。
- 没年月日
- 大正15年 5月26日 (1926年)
- 家族
- 父=望月 太左衛門(7代目),弟=堅田 喜惣治(3代目),望月 太左衛門(9代目),妹=藤舎 呂船(5代目)
- 親族
- 甥=望月 朴清(4代目)
望月 太左衛門(9代目)
モチヅキ タザエモン
- 職業
- 長唄囃子方
- 肩書
- 望月流家元
- 本名
- 安倍 光之助
- 別名
- 前名=望月 長左久(3代目)
- 生年月日
- 明治35年 2月20日
- 出生地
- 東京
- 経歴
- 望月長左久を経て、昭和3年9代目太左衛門を襲名。著書に「望月流改訂長唄囃子方手附」がある。
- 没年月日
- 昭和21年 9月12日 (1946年)
- 家族
- 父=望月 太左衛門(7代目),長男=望月 朴清(4代目),兄=望月 太左衛門(8代目),堅田 喜惣治(3代目),妹=藤舎 呂船(5代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
望月 太左衛門(10代目)
モチヅキ タザエモン
昭和期の長唄囃子方 望月流家元;歌舞伎囃子協会副会長。
- 生年
- 大正12(1923)年12月12日
- 没年
- 昭和62(1987)年5月12日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 安倍 一太郎(アベ イチタロウ)
- 別名
- 前名=望月 長佐久(4代目)
- 学歴〔年〕
- 日大一中〔昭和13年〕中退
- 経歴
- 昭和15年より6代目尾上菊五郎付として修業し、21年10代目太左衛門を襲名。歌舞伎囃子界の第一人者で、菊五郎劇団の舞台をつとめるかたわら、後進の指導にも当たった。
望月 太左衛門(8代目)
モチヅキ タザエモン
大正期の長唄囃子方 望月流家元。
- 生年
- 明治23(1890)年4月
- 没年
- 大正15(1926)年5月26日
- 出生地
- 東京市日本橋区横山町
- 本名
- 安倍 金三郎
- 別名
- 前名=望月 長左久(2代目)
- 経歴
- 幼児より父に師事し、明治38年2代目望月長左久を名のる。大正9年父が隠居するとともに、8代目太左衛門を襲名し、家元を継いだ。
望月 太左衛門(9代目)
モチヅキ タザエモン
大正・昭和期の長唄囃子方 望月流家元。
- 生年
- 明治35(1902)年2月20日
- 没年
- 昭和21(1946)年9月12日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 安倍 光之助
- 別名
- 前名=望月 長左久(3代目)
- 経歴
- 望月長左久を経て、昭和3年9代目太左衛門を襲名。著書に「望月流改訂長唄囃子方手附」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
望月太左衛門(6代)
没年:明治7.5.7(1874)
生年:天保1(1830)
江戸後期・明治初期の歌舞伎囃子方。4代目太左衛門に師事。前名,太喜蔵。文久1(1861)年,2代目望月朴清(4代目太左衛門)が没したとき,すでに5代目は死亡しており,後継者が決まっていなかったので,4代目弟子の太之助,太左吉,太喜蔵,5代目の弟子の2代目福原百之助(2代目宝山左衛門)らの間で跡目が争われ,結局明治2(1869)年,芸は最も劣っていたが森田座座付きの芝居茶屋を経営するなど大いに勢力を振るっていた太喜蔵が6代目を襲名した。のちに,38年,4代目望月長九郎が30年間中絶していた太左衛門の7代目を継ぐと,2代目宝山左衛門は太喜蔵の6代目を無視して6代目太左衛門を称し,山左衛門の没する43年までふたり太左衛門の時代が出現した。
望月太左衛門(4代)
没年:文久1.4.18(1861.5.27)
生年:天明4(1784)
江戸中・後期の歌舞伎囃子方。前名,柏崎林之助。文化11(1814)年,4代目太左衛門を襲名。以後没するまで長く歌舞伎囃子界に君臨し,優秀な弟子を多く育成して,望月派の基礎を確立した。安政2(1855)年,娘婿の初代福原百之助に5代目太左衛門を譲り,俳名の2代目朴清を名乗る。世に「朴清太左衛門」とうたわれ,没後に死絵(追善記念版画)が発行されるほどの人気であった。囃子界で,唄,三味線,鳴物を通じ,死絵が出たのはこの人だけである。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
望月太左衛門(7世)
もちづきたざえもん[ななせい]
[生]文久2(1862).3.16. 仙台
[没]1938.5.19. 東京
歌舞伎囃子方。5世望月太左衛門の没後,門弟間に相続争いが起り,6世が2名出たりしたが,4世望月長九郎が 1905年7世を襲名。多数の門弟を擁し,歴代中で最も大きな存在となり,黄金時代を築いた。 1920年8世を長男に譲って3世望月朴青を襲名。 13世杵屋六左衛門,5世杵屋勘五郎と提携して『新曲浦島』『多摩川』などを作調。
望月太左衛門(11世)
もちづきたざえもん[じゅういっせい]
[生]1934.1.8. 東京,東京
[没]2007.9.20.
歌舞伎囃子方。本名安倍啓仁。9世望月太左衛門の長男。父と叔母望月初子に師事。前名 5世望月長左久。1988年 11世を襲名。歌舞伎の出囃子や演奏会に活躍。
望月太左衛門(10世)
もちづきたざえもん[じっせい]
[生]1923.12.12. 東京
[没]1987.5.12. 東京
歌舞伎囃子方。本名安倍一太郎。8世望月太左衛門の長男。叔父の9世太左衛門に師事。前名4世望月長左久。 1946年 10世を襲名。6世尾上菊五郎を支える囃子方として活躍した。
望月太左衛門(9世)
もちづきたざえもん[きゅうせい]
[生]1902.2.20. 東京
[没]1946.9.12. 熱海
歌舞伎囃子方。本名安倍光之助。7世望月太左衛門の4男。前名3世望月長左久。 1928年9世を襲名。『望月流囃子手附』などを著わし,能楽の囃子にも造詣が深かった。
望月太左衛門(4世)
もちづきたざえもん[よんせい]
[生]天明4(1784)
[没]文久1(1861)
歌舞伎囃子方。本名柏崎林之助。文化 11 (1814) 年襲名。太鼓打ちとして活躍,望月の名を確立した。
望月太左衛門(1世)
もちづきたざえもん[いっせい]
歌舞伎囃子方。宝暦~明和 (1751~72) 期の鼓方,宇野長七の門弟。
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望月太左衛門(7代) もちづき-たざえもん
1862-1938 明治-昭和時代前期の歌舞伎囃子(はやし)方。
文久2年3月16日生まれ。陸奥(むつ)仙台の囃子方初代堅田喜三久の長男。6代太左衛門の門人で,明治38年7代を襲名。演奏技術,作調にすぐれ,望月流の黄金期をきずく。この代に2代宝(たから)山左衛門も6代太左衛門を称したため,一時太左衛門が並立した。昭和13年5月19日死去。77歳。本名は安倍清三久。前名は望月長九郎(4代)。俳名は朴清(3代)。
望月太左衛門(10代) もちづき-たざえもん
1923-1987 昭和時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
大正12年12月12日生まれ。8代望月太左衛門の長男。9代望月太左衛門に師事し,4代長左久を名のる。6代尾上菊五郎付きとして修業。昭和21年10代をつぎ,戦後の尾上菊五郎劇団音楽部をささえた。昭和62年5月12日死去。63歳。東京出身。本名は安倍一太郎。
望月太左衛門(4代) もちづき-たざえもん
1784-1861 江戸時代後期の歌舞伎囃子(はやし)方。
天明4年生まれ。文化11年(1814)4代太左衛門を襲名。望月流の地位を確立し,没時に長唄界では例のない死絵(しにえ)が発行された。文久元年4月18日死去。78歳。前名は柏崎林之助。俳名は朴清(2代)。
望月太左衛門(8代) もちづき-たざえもん
1891-1926 明治-大正時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
明治24年4月9日生まれ。7代太左衛門の長男。大正9年8代を襲名。市村座の囃子主任をつとめた。大正15年5月26日死去。36歳。東京出身。本名は安倍金三郎。前名は望月長左久(2代)。
望月太左衛門(6代) もちづき-たざえもん
1830-1874 幕末-明治時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
天保(てんぽう)元年生まれ。4代太左衛門の門人。2代宝(たから)山左衛門らと名跡をあらそい,明治2年6代を襲名。没後名跡は中絶した。明治7年5月7日死去。45歳。前名は望月太喜蔵。
望月太左衛門(9代) もちづき-たざえもん
1902-1946 大正-昭和時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
明治35年2月20日生まれ。7代太左衛門の3男。長兄の8代の早世により,昭和3年9代を襲名。昭和21年9月13日死去。45歳。東京出身。本名は安倍光之助。前名は望月長左久(3代)。
望月太左衛門(初代) もちづき-たざえもん
?-? 江戸時代中期の歌舞伎囃子(はやし)方。
宇野長七の門人。安永2年(1773)江戸中村座の立(たて)小鼓としてはじめて名がみえる。初名は柏崎吾四郎。信濃(しなの)(長野県)飯田の人で,姨捨(おばすて)山の月から,望月を姓としたという。
望月太左衛門(5代) もちづき-たざえもん
?-1859 江戸時代後期の歌舞伎囃子(はやし)方。
初代宝(たから)山左衛門の門人。4代太左衛門の娘婿で,安政2年5代を襲名。安政6年2月12日死去。前名は福原百之助。
望月太左衛門(2代) もちづき-たざえもん
?-? 江戸時代後期の歌舞伎囃子(はやし)方。
三味線方の2代柏崎権兵衛の3男。2代柏崎吾四郎をつぎ,文化元年(1804)2代太左衛門を襲名。俳名は黙翁。
望月太左衛門(3代) もちづき-たざえもん
?-? 江戸時代後期の歌舞伎囃子(はやし)方。
芸系は不明。隠居して初代朴清(ぼくせい)を名のる。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
望月 太左衛門(7代目) (もちづき たざえもん)
生年月日:1862年3月16日
明治時代-昭和時代の江戸長唄囃子方
1938年没
望月 太左衛門(8代目) (もちづき たざえもん)
生年月日:1891年4月9日
大正時代の歌舞伎囃子方。望月流家元
1926年没
望月 太左衛門(9代目) (もちづき たざえもん)
生年月日:1902年2月20日
大正時代;昭和時代の歌舞伎囃方
1946年没
望月 太左衛門(10代目) (もちづき たざえもん)
生年月日:1923年12月12日
昭和時代の歌舞伎囃子方
1987年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報