藤間勘祖(読み)フジマ カンソ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「藤間勘祖」の解説

藤間 勘祖(2代目)
フジマ カンソ


職業
日本舞踊家

肩書
藤間流宗家(6代目) 重要無形文化財保持者(歌舞伎舞踊)〔昭和35年〕,日本芸術院会員〔昭和42年〕

本名
藤間 秀雄(フジマ ヒデオ)

別名
歌舞伎俳優名=尾上 梅雄,前名=藤間 勘十郎(6代目)(フジマ カンジュウロウ)

生年月日
明治33年 10月8日

出生地
東京市 深川区(東京都 江東区)

経歴
明治40年8歳の時6代目尾上梅幸に入門し歌舞伎俳優となり、41年尾上梅雄を名乗り、初舞台。大正4年16歳の時、踊りの才能を見込まれ、藤間流宗家5代目勘十郎の養子に。15年養母・5代目勘十郎が隠居し、家督を継ぐ。昭和2年6代目勘十郎を襲名。古典舞踊を極めると同時に、歌舞伎舞踊の振付師としても活躍。15年東京音楽学校舞踊科講師、30年日本舞踊協会理事に就任。36年第1回勘十郎の会を開く。平成元年宗家藤間会で「井筒」を踊る。舞踊家としては素踊りに徹し、典雅で品位ある踊りをみせた。代表作に「関町小町」「佐野源左衛門常世」「卒都婆小町」「橋弁慶」など。歌舞伎舞踊の振付では6代目菊五郎と共同の「藤娘」「うかれ坊主」が有名。2年長女の高子(初代康詞)に7代目勘十郎を譲り、2代目勘祖に改名。昭和35年人間国宝、42年日本芸術院会員に加え、57年文化勲章受章。19年に藤間紫と結婚したが、61年離婚。

受賞
日本芸術院賞(昭37年度)〔昭和38年〕,文化功労者〔昭和54年〕 紫綬褒章〔昭和32年〕,勲三等瑞宝章〔昭和46年〕,文化勲章〔昭和57年〕 毎日演劇賞〔昭和29年〕,舞踊芸術賞〔昭和35年〕,毎日芸術賞〔昭和36年〕,舞踊ペンクラブ賞〔昭和37年〕

没年月日
平成2年 12月5日 (1990年)

家族
養母=藤間 勘十郎(5代目),娘=藤間 勘祖(3代目)(=7代目勘十郎・本名=藤間高子),孫=藤間 勘十郎(8代目)

伝記
修羅のはざまで 藤間 紫 著(発行元 婦人画報社 ’92発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤間勘祖」の解説

藤間勘祖(2代) ふじま-かんそ

藤間勘十郎(ふじま-かんじゅうろう)(6代)

藤間勘祖(3代) ふじま-かんそ

藤間勘十郎(ふじま-かんじゅうろう)(7代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android