蘂取村(読み)しべとろむら

日本歴史地名大系 「蘂取村」の解説

蘂取村
しべとろむら

面積:七六〇・五〇平方キロ(境界未定)

大正一二年(一九二三)蘂取郡蘂取村と乙今牛おといまうし村が合併し、二級町村の蘂取村が成立。択捉えとろふ島の北東端部に位置し、南西は紗那しやな紗那村、北はオホーツク海、南は太平洋に面する。内陸部に乙今牛山(七六九・六メートル)・蘂取岳(八五二・八メートル)などの山々、北から北東端にかけては神威かむい(一三二二・一メートル)・ラッキベツ岳(一二〇六メートル)茂世路もよろ(一一二三・九メートル)などの高山が海岸に迫っている。南東端部に発し、北西流して蘂取でオホーツク海に注ぐ蘂取川は択捉島で最長の川で、流域に狭小だが平地を形成している。海岸線には漁場が点在し、地名もイカバネ漁場ぎよば・フレテスカ漁場などと漁場名が付けられている。

蘂取村
しべとろむら

[現在地名]蘂取郡蘂取村大字蘂取

明治初年から大正一二年(一九二三)までの村。択捉えとろふ島の北東端に位置し、東部に神威かむい(一三二二・一メートル)・ラッキベツ岳(一二〇六メートル)、南部に茂世路もよろ(一一二三・九メートル)硫黄いおう(九九一メートル)、西部に蘂取岳(八五二・八メートル)などの高山があり、ほぼ中央部の山麓を蘂取川が北流し、北のオホーツク海に注ぐ。南は太平洋に面し、モヨロ港がある。北から東の海岸線をはじめ、海岸線には多くの好漁場がある。明治初年にシベトロシャルシャムなどを包含してシベトル村が成立。同六年(一八七三)アイヌの戸数二〇、男六八・女四九、寄留人は平民男九(千島国地誌提要)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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