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蘇我果安 そがの はたやす

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蘇我果安 そがの-はたやす

?-672 飛鳥(あすか)時代の豪族。
天智(てんじ)天皇10年御史大夫(ぎょしたいふ)となる。壬申(じんしん)の乱(672)がおこると,大友皇子(弘文天皇)を支持して大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)軍とたたかう。軍勢の中で内紛があり,大海人側へ通じようとした山部王を殺して同年7月自殺。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

蘇我果安

没年:天武1.7(672)
生年:生年不詳
7世紀後半の豪族で,天智朝の重臣。蘇我氏の一族であるが,その系譜や父母などは未詳。天智10(671)年御史大夫(のちの大納言に相当)となり,大友皇子,左大臣蘇我赤兄ら5人と内裏の繍仏の前で天皇の詔を奉ずることを誓い,のち病床に伏す天皇の前でも同様の誓約を行った。いずれも病篤い天智天皇とその後継者となった大友皇子への忠誠を誓ったものである。壬申の乱(672)の勃発とともに先の誓約を守って大友皇子の側に立ち,山部王や巨勢人らと数万の兵を率いて近江国の犬上川(彦根市付近)の辺に陣取ったが,内紛が生じた。果安らは大海人皇子(のちの天武天皇)に内応しようとした山部王を殺したが,なぜか果安自身も首を刺して自殺した。

(橋本義則)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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