デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「犬養五十君」の解説 犬養五十君 いぬかいの-いきみ ?-672 飛鳥(あすか)時代の官吏。「日本書紀」によれば,大化(たいか)元年(645)国司の紀麻利耆拖(きの-まりきた)に属し東国へ派遣される。2年の東国国司たちの施政に関する裁定で,紀とともに違法行為をおこなったとされるが,大赦でゆるされた。壬申(じんしん)の乱(672)に大友皇子方の将としてくわわり,村国男依(おより)に捕らえられ,天武天皇元年7月23日斬殺(ざんさつ)された。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「犬養五十君」の解説 犬養五十君 没年:天武1.7(672) 生年:生年不詳 7世紀中ごろの官僚。大化1(645)年8月,いわゆる東国国司として派遣された紀臣らと共に介(次官)以下の官僚として属し,翌年3月に朝集使により東国国司の功過が報告されたとき,紀臣の罪に連座した。壬申の乱(672)では近江軍(大友皇子側)の将として7月上旬に大和国で吉野軍と戦って捕らえられ,近江国の粟津市(大津市粟津付近)で斬られた。 (岩本次郎) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by