虎屋源太夫(読み)トラヤゲンダユウ

デジタル大辞泉 「虎屋源太夫」の意味・読み・例文・類語

とらや‐げんだゆう〔‐ゲンダイフ〕【虎屋源太夫】

江戸前期の古浄瑠璃太夫。江戸の人。薩摩浄雲さつまじょううん門人金平きんぴら浄瑠璃風の硬派語り手として有名。上方浄瑠璃にも影響を与えた。生没年未詳。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「虎屋源太夫」の意味・読み・例文・類語

とらや‐げんだゆう‥ゲンダイフ【虎屋源太夫】

  1. 江戸前期の古浄瑠璃の太夫。江戸の人。薩摩浄雲(じょううん)の門人。金平(きんぴら)浄瑠璃風の硬派の語り手として有名。上方浄瑠璃にも影響を与えた。生没年未詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「虎屋源太夫」の解説

虎屋源太夫

生年:生没年不詳
江戸前期の古浄瑠璃の太夫。虎屋系統の祖。薩摩浄雲(初名虎屋次郎右衛門)の門人。寛永(1624~44)末~元禄2(1689)年ごろ活躍。江戸堺町で操り芝居を興行し,金平風の武勇ものを得意としたという。江戸の太夫だが同名の太夫が大坂にいたので,江戸虎屋源太夫ともいう。大源太夫といわれ,門弟が多くあり,伊勢島宮内もそのひとり。延宝6(1678)年には将軍の上覧を受けている。

(竹内道敬)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「虎屋源太夫」の解説

虎屋源太夫 とらや-げんだゆう

?-? 江戸時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
薩摩浄雲(さつま-じょううん)の門人。延宝6年(1678)江戸城にまねかれ将軍の前で演じている。「四天王頼光勇力諍(あらそい)」など金平(きんぴら)風の武勇物が得意だった。大源太夫といわれ,また大坂の座本虎屋源太夫に対し,江戸虎屋源太夫ともいう。門人に虎屋永閑など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の虎屋源太夫の言及

【浄瑠璃】より

…この門人広瀬式部の式部節は貞享・元禄(1684‐1704)ころ江戸に流行したが,式部は市村座に出演して歌舞伎浄瑠璃化し,また酒宴の席などのくだけた浄瑠璃を語って座敷浄瑠璃化した。浄雲の弟子の虎屋源太夫の門からは虎屋永閑(永閑節)が出て,元禄ころまで金平風を語った。この門人には虎屋喜元,虎屋寿徳などがあったが,寿徳は歌舞伎に出演した。…

※「虎屋源太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android