公平浄瑠璃とも書き,金(公)平節ともいう。初期の江戸浄瑠璃の一。明暦(1655-58)のころ,江戸浄瑠璃の開祖薩摩浄雲の門弟,和泉太夫が語り始めたとされる。寛文年間(1661-73)を中心に江戸で大いに流行し,その子の長太夫をはじめ他の太夫たちもこれを語るようになり,一時は上方まで風靡した。内容は酒呑童子,源頼光伝説をもとに脚色を加えた武勇談で,なかでも坂田金時の子に金(公)平という豪傑を仮想し活躍させた。短気で超人的な力を発揮するが,知謀に乏しく,無邪気でそそっかしい金平の性格が時代の好尚にかなったためか,特に人気を博し,これらの作品の総称となった。しかし,金平浄瑠璃は,金平が活躍するばかりではなく,ほかの人物も活躍する。渡辺綱,坂田金時,碓氷定光,卜部季武らが登場する作品を親四天王物,その子の世代の武綱,金平,定景,季春らが登場する作品を子四天王物と呼ぶことがある。また,四天王たちの登場しない,類似の傾向の作品をも含めていわれることもある。
金平浄瑠璃を語り始めたといわれる和泉太夫は,1662年(寛文2)に受領して桜井丹波少掾平正信を称した。その芸風は《関東血気物語》に,2尺(約60cm)ばかりの鉄の棒で拍子をとり,人形の首を抜きなどしながら語ったと伝え,その語り口の豪快激越さがうかがわれるが,現在ではその曲節は不明。また,《故郷帰の江戸咄》に〈和泉太夫が浄瑠璃は岡清兵衛といふ者作る〉とあり,現存の和泉太夫の正本にもその名が見える。ほかに,虎屋永閑,虎屋源太夫,井上大和少掾,伊藤出羽掾などもこれを語り,現存正本によると作者に四野宮孫四郎,岡五郎兵衛などがいたことが知られる。正本に作者の署名のあるのは注目される。
内容や作風は太夫,作者によって違うが,源満仲,頼光などの時代に,謀反や妖怪変化の出現などによって国家の秩序が乱れ,これを親四天王,子四天王,一人武者平井保昌,藤原仲光らの活躍によって平定するというのが基本的な構想で,中に豪快な場面が多く,特に初期の作品には明るい活気がみなぎっている。金平たちの行動は単純であるが,その超人的な剛勇さと童話的な痛快味は,戦国時代を懐古する風潮の中で,人々から歓迎され,女歌舞伎,若衆歌舞伎弾圧に対する反動も手伝って大変な流行をみた。しかし,町人文化の成熟にともなって,時代遅れの作品となり,金平の中に含み持っていた滑稽味を伸長し道化物として活路を見いだそうとしたものの,やがて終局を迎える。作品に《宇治の姫切》《公平末春軍論》《金平関やぶり》《四天王頼光勇力諍》《頼光跡目論》などがあり,道化物に《金平恋之山入》《金平歳旦発句》などがある。なお,金平浄瑠璃は歌舞伎にも影響を与え,初世市川団十郎の荒事も,この金平浄瑠璃の演出からヒントを得たものと考えられている。
→四天王物
執筆者:山本 吉左右
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…明暦~寛文(1655‐73)には題材が一変し,坂田金時の子の金平(きんぴら)という豪傑が奇想天外な活躍をする武勇物が語られるようになり,全国的に流行した。この種の浄瑠璃を金平浄瑠璃と称し,江戸の和泉太夫,京都の上総少掾(かずさしようじよう)などが語った。他に,大坂では明暦の初めころ,井上播磨掾が出て評判を得,延宝・天和期(1673‐84)には京都では宇治加賀掾が優美な語り口で王朝趣味の作品を上演し,山本土佐掾は哀調のある節を語った。…
…浄雲には《はなや》などあり,その勇壮な硬派の流派(薩摩節)は2世薩摩その他に受け継がれ,明暦(1655‐58)から寛文(1661‐73)ころ以後,それぞれが流派を立てて活躍した。その中で注目されるものに金平(きんぴら)節(金平浄瑠璃),外記節,土佐節がある。金平節は大坂の伊藤出羽掾,井上播磨掾にも影響した。…
※「金平浄瑠璃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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