日本歴史地名大系 「虫窪村」の解説 虫窪村むしくぼむら 神奈川県:中郡大磯町虫窪村[現在地名]大磯町虫窪・月京(がつきよう)中央の愛宕(あたご)山(一〇七メートル)とその支脈が大部分を占める山間の村。南は国府新宿(こうしんしく)村、西は西窪(にしのくぼ)村、中里(なかざと)村(現二宮町)、北は黒岩(くろいわ)村、東は生沢(いくさわ)村に接する。西方を土屋(つちや)道が北西へ通る。永禄一三年(一五七〇)と推定される二月一五日付北条家朱印状(県史三)によれば、小田原城普請役として「虫窪人足弐人」が申しつけられ、鍬・簣を持って翌月二五日に小田原へ集まるよう命ぜられている。天正一九年(一五九一)旗本木部領、延享二年(一七四五)幕府直轄領、宝暦一〇年(一七六〇)旗本武田領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by