蛇口用水堰跡(読み)へびぐちようすいぜきあと

日本歴史地名大系 「蛇口用水堰跡」の解説

蛇口用水堰跡
へびぐちようすいぜきあと

八戸藩士蛇口伴蔵開削した用水路階上の北麓に位置し、山麓から蒼前そうぜん平に広がる丘陵地帯の開拓を目指したものとみられる。現赤保内あかぼない寺下てらした寺下川、現鳥屋部とやべ境窪さかいくぼで鳥屋部川から取水し、現鳥屋部の下平しもたい付近で合流した後、蒼前平・ほろどの沼に至る。同沼からさらに北へ一部延長されていた。寺下から同沼までの総延長距離は約一二キロと推定される。

文久元年(一八六一)五月、伴蔵は寺下観音に願文を奉納し(「八戸聞見録」八戸市立図書館蔵)、同年三本木さんぼんぎ開拓所(現十和田市)より人員が派遣されている(「新渡戸十次郎書状」三本木開拓誌)。この年から工事に着手したとみられ、同三年には工事が完了したといわれる。


蛇口用水堰跡
へびぐちようすいぜきあと

安政六年(一八五九)八戸藩士蛇口伴蔵が開削した用水路。現中野なかの下洗しもあらい新井田にいだ川の支流頃巻沢ころまきざわ川から上水し、泥障作あおつくりを経て鴨平かもたい(現八戸市是川)北東白山はくさん(沢里川)の上流に導水した。総延長約四・五キロ。泥障作の北西から鴨平の西南までの約〇・五キロがトンネルとなる。

御勘定所日記の安政六年九月一五日条に「泥障川白山平迄之上水」とあり、前々年藩吟味役を退役した伴蔵が自己資金をもって当堰の開削に着手している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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