蜂谷 道彦
ハチヤ ミチヒコ
昭和期の医師 元・広島逓信病院長。
- 生年
- 明治36(1903)年8月9日
- 没年
- 昭和55(1980)年4月13日
- 出身地
- 岡山県
- 学歴〔年〕
- 関西大学卒
- 経歴
- 昭和20年8月6日、広島市内の自宅で被爆、全身に大けがをしたが、被爆者の救援活動に従事。その体験をまとめた「ヒロシマ日記」を30年に出版、英、独、仏語などにも翻訳されて原爆の非人間性を世界に訴えた。31年から5年間母校の関西大学校友会会長を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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蜂谷道彦 はちや-みちひこ
1903-1980 昭和時代の医師。
明治36年8月9日生まれ。昭和17年広島逓信病院長となり,20年病院の近くで被爆。被爆者の治療にあたったその時の体験を「ヒロシマ日記」として出版,英訳されて海外でも反響をよんだ。昭和55年4月13日死去。76歳。岡山県出身。岡山医大(現岡山大)卒。著作に「卒中物語」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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