日本大百科全書(ニッポニカ) 「蜘蛛の拍子舞」の意味・わかりやすい解説
蜘蛛の拍子舞
くものひょうしまい
歌舞伎(かぶき)舞踊劇。長唄(ながうた)。本名題(ほんなだい)『我脊子恋(わがせこがこい)の合槌(あいづち)』。初世桜田治助(じすけ)作。初世杵屋(きねや)佐吉作曲。藤間勘兵衛振付け。1781年(天明1)11月、江戸・中村座で3世瀬川菊之丞(きくのじょう)らにより初演。顔見世狂言『四天王宿直着綿(してんのうとのいのきせわた)』の一番目三建目(みたてめ)としてつくられたもので、葛城山(かつらぎやま)の女郎蜘蛛の精が三条小鍛冶(こかじ)の娘と称する白拍子妻菊(つまぎく)の姿で源頼光(らいこう)の館に入り込み、見顕されて立回りになる。「女暫(おんなしばらく)」の扮装(ふんそう)で登場した妻菊が、頼光や碓井貞光(うすいさだみつ)と名剣の問答をしながらの拍子舞を中心に、妻菊の頼光へのクドキ、3人が鍛冶を模し槌(つち)のかわりに紅葉(もみじ)の枝を持っての総踊りなどが見どころ。拍子舞とは、長唄の三味線にのって、役者が唄いながら踊るという技巧で、今日でも4、5種残っているが、これはその代表的名曲で、舞踊としても簡略な形での上演は続いていたが、歌舞伎では1955年(昭和30)6世中村歌右衛門(うたえもん)が渥美清太郎の台本で本式に復活した。
[松井俊諭]