蟻尾城跡(読み)ありおじようあと

日本歴史地名大系 「蟻尾城跡」の解説

蟻尾城跡
ありおじようあと

[現在地名]鹿島市大字高津原字高津原

標高約一八〇メートルの蟻尾山上に築かれた山城で、在尾・有尾などとも記される。

文正元年(一四六六)大村家徳が千葉氏に対する防衛のため築いた(肥前旧事)。蟻尾山の最高所を削平して城砦を構え、南北両側は天然の断崖で守り、東が登城口となっていたと推定される。この登城口は急坂となり、左右に空堀が設けられている。この空堀のすぐ上が一段と高くなっており、西側は平坦な尾根続きとなっている。

この最高所は現在、豊前坊ぶぜんぼう(彦山権現)とよばれ、若殿分わかとのぶん集落で四月と七月に祭を催す。ここに造立年代が明らかでない「大天狗」の石祠と「右心信大檀那平氏容光、奉建立弁才天御宝殿一宇諸願成就、永正九壬申年十二月吉日、平常親」と記す石祠が奉祠されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android