改訂新版 世界大百科事典 「行賀」の意味・わかりやすい解説
行賀 (ぎょうが)
生没年:729-803(天平1-延暦22)
奈良末・平安初期の学僧。俗姓上毛野公(かみつけぬのきみ),大和国広瀬郡の人。25歳で遣唐留学にあてられ,唯識・法華の両宗を学ぶ。在唐すること31年,百高座の第二に居り,《法華経弘賛(ぐさん)》《唯識論僉記(せんき)》などを著して大いに学業をなし,聖教要文500巻余りを持ち帰った。東大寺の明一が宗義を難問したところ,行賀は返答につまり,明一から留学の実が上がらず国費の消耗だと痛烈にののしられた。行賀は深く恥じ,刻苦精励して研学にはげみ,《大智度論釈》《維摩経略賛》《法華経科文》など多くの注疏を著述した。791年(延暦10)興福寺別当となり,ついで796年大僧都に任ぜられた。朝廷は門徒30人を付して行賀の学業を伝えしめた。
執筆者:中井 真孝
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