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行賀 ぎょうが

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

行賀 ぎょうが

729-803 奈良-平安時代前期の僧。
天平(てんぴょう)元年生まれ。大和(奈良県)の人。天平勝宝4年唐(とう)(中国)に留学して天台,法相(ほっそう)をまなぶ。帰国の際経疏(きょうしょ)500巻余をもたらした。延暦(えんりゃく)10年興福寺別当,15年大僧都。法相宗六祖のひとり。延暦22年2月11日死去。75歳。俗姓は上毛野(かみつけの)。著作に「法華弘賛(ほっけぐさん)」「成唯識論僉記(せんき)」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

行賀

没年:延暦22.2.8(803.3.4)
生年:天平1(729)
奈良・平安初期の僧。大和国広瀬郡(奈良県北葛城郡周辺)の出身。一説に3月8日没。俗姓は上毛野公氏。15歳で出家,興福寺に属し,天平勝宝4(752)年入唐し,以降31年間に渡って唐で唯識(法相),法華(天台)宗を学んだ。天平宝字3(759)年に『聖教要文』などを書写し多くの経典を持って帰国した。宝亀10(779)年律師,延暦3(784)年少僧都,同15年大僧都となった。また興福寺別当でもあった。興福寺にはその座像がある。卒伝には,帰国の日に学業を試され,返答できずに大いに恥じたが,それは長く唐にあり日本語を忘れていたからであったという逸話がある。

(鷺森浩幸)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ぎょうが【行賀】

729‐803(天平1‐延暦22)
奈良末・平安初期の学僧。俗姓上毛野公(かみつけぬのきみ),大和国広瀬郡の人。25歳で遣唐留学にあてられ,唯識・法華の両宗を学ぶ。在唐すること31年,百高座の第二に居り,《法華経弘賛(ぐさん)》《唯識論僉記(せんき)》などを著して大いに学業をなし,聖教要文500巻余りを持ち帰った。東大寺の明一が宗義を難問したところ,行賀は返答につまり,明一から留学の実が上がらず国費の消耗だと痛烈にののしられた。行賀は深く恥じ,刻苦精励して研学にはげみ,《大智度論釈》《維摩経略賛》《法華経科文》など多くの注疏を著述した。

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