中国の儒教の正典である経書を解釈したものを〈注〉といい,注をさらに詳しく解釈したものを〈疏〉という。注は,ときに伝,箋(せん),解,学ともいうが,それらを総じて注という。注や疏が生まれるのは,基本的には古典が時とともに読解しがたくなったことによるが,それは漢代に盛んであった訓詁学に始まるといってよい。訓詁学とは経書の一字一句の意味を解明し,そこからいにしえの聖人の教えをひき出そうとする学問である。しかし,一つの経書にも数種の異なるテキストが存在し,それぞれが異なった解釈をしたため,漢代では対立と論争が繰り広げられた。唐の太宗は勅命により,640年(貞観14)それまで不統一であった《周易》《尚書》《毛詩》《礼記(らいき)》《春秋左氏伝》の五経を校定させ,それに基づいて《五経正義》を作らせた。ここに五経の解釈は定着し,注を敷衍してさらに注釈した〈正義〉が生まれたのである。この〈正義〉こそ疏にほかならない。これによって注は経の真理を語るものとして権威づけられ,経はいっそう不動の地位を保証されることになった。
こうして《五経正義》が成立すると,他の経書にも疏が作られ,それは本来経書として扱われなかったものにも及んだ。《周礼(しゆらい)》《儀礼(ぎらい)》《公羊(くよう)伝》《穀梁伝》《孝経》《論語》《爾雅(じが)》《孟子》に次々と疏が生まれ,宋代の初めころには先の《五経正義》に加えて《十三経注疏》が完成した。体裁は統一され,解釈の基準も定められた《十三経注疏》であったが,それは同時に,ここに採用されなかった注釈書の多くを失う原因ともなった。また,疏が経と注を乱さないという精神を貫いたために,たとえ注に誤りをみつけたとしても,疏はそれを誤りと認めず,あえて無理な解釈をして筋を通そうとする結果にもなった。のち,学問としての注疏は,あらゆる古典を実証的に解明しようとした清朝考証学にそのあとを譲ることになる。
執筆者:串田 久治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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