日本歴史地名大系 「衣笠城跡」の解説
衣笠城跡
きぬがさじようあと
前九年の役の戦功で源頼義から三浦の地を与えられた三浦為通により、康平年間(一〇五八―六五)築かれたという。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)八月二六日条に、畠山重忠が大軍を率いて来襲するというので、三浦一族は「悉以引籠于当所衣笠城」とある。この合戦で三浦義明は城内にとどまって死に、子の義澄以下は安房に逃れ、海上で源頼朝と合流し、それ以後三浦一族が重用されるきっかけとなった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報