大善寺(読み)ダイゼンジ

デジタル大辞泉 「大善寺」の意味・読み・例文・類語

だいぜん‐じ【大善寺】

山梨県甲州市にある真言宗智山派の寺。山号は柏尾山。開創は養老2年(718)、開山は行基と伝える。国宝の本堂は、後宇多天皇の勅願によって再建されたもの。藤切り会式・鳥居焼きの行事が行われる。ぶどう薬師。

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精選版 日本国語大辞典 「大善寺」の意味・読み・例文・類語

だいぜん‐じ【大善寺】

  1. 山梨県東山梨郡勝沼町にある新義真言宗智山派の寺。古くは天台宗。山号は柏尾山。養老二年(七一八)行基(ぎょうき)の草創と伝えられ、鎌倉幕府、武田氏の祈願所として栄えた。本堂(薬師堂)は国宝。本尊の薬師如来像(国重要文化財)は行基の作と伝えられる。ぶどう薬師。

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日本歴史地名大系 「大善寺」の解説

大善寺
だいぜんじ

[現在地名]勝沼町勝沼

柏尾かしお山の山腹に位置し、直下を川沿いに国道二〇号(旧甲州道中)が東西に走り、柏尾の集落が点在する。山号は柏尾山、院号は自性院。真言宗智山派の寺で、本尊は薬師如来。古くは柏尾寺・柏尾山寺・「かしはおの山寺」などとみえるが、延慶三年(一三一〇)五月五日の関東下知状(大善寺文書。以下とくに断らない限り同文書)などによれば、一山を総称して柏尾山または柏尾寺・柏尾山寺、本堂薬師堂をさして大善寺とよんだことが知られる。元正天皇の養老二年(七一八)八月、行基が自刻の薬師三尊を本尊として草創し、柏尾山と号し、聖武天皇から鎮護国家大善寺の定額と祈願所の宣旨を賜ったという寺伝をもつ(寺記)。建久八年(一一九七)一〇月の柏尾大衆等解状案に「草創以降三百余歳」とあることや、本尊薬師三尊が弘仁・貞観期の作であることからみて、平安時代前期にすでに存在したことはほぼ間違いない。初見は白山平はくさんだいら経塚出土の康和五年(一一〇三)の経筒銘で、同二年正月の頃、甲斐国山東郡内牧山まきやま村米沢寺千手観音の宝前に籠居して如法経書写を発願した僧寂円は無事念願を果し、同五年三月二四日「柏尾山寺往生院」の仏前に写経を移し、四月三日「当山院主叡山学者尭範」を導師として荘厳な法要を営み、同月二二日、寺の東方白山妙里の峰に埋納した。寺は古来真言密教の中心寺院として伝えられてきたが、この銘文によって当時は天台系であったことがわかる。

銘文の末尾に掲げられた法要関係者のなかに惣行事として三枝宿禰守定・同守継・権介守清の名がみえ、甲斐の古代豪族で当時在庁官人として権勢を振るっていた三枝氏一族が寺の大檀那であり、もともとこの寺が三枝氏の氏寺として創建されたものであることを推測させる。三枝氏の祖については守国伝説なるものがあり、仁明天皇のとき丹波国安大寺の艮の方角にある榎の三股の中にあった童子が三枝守国の名を賜り、異国を退治し、その功によって播磨国と大宰大弐の職とを与えられた。のち無実の罪で甲斐国野呂のろ郷に流され、甲斐の在庁の祖となり、氏寺として三枝寺(柏尾寺)を建て、長徳四年(九九八)に一一六歳で没したという。文明七年(一四七五)一〇月に別塔栄賢僧都が記したという当寺蔵の三枝先祖相伝継図にみえ、内容に小異はあるものの、広く流布した伝説であるが、「家伝の説はなはだ奇怪」(「寛政重修諸家譜」三枝氏項)と評されるとおり、荒誕な説というべきである。


大善寺
だいぜんじ

[現在地名]伏見区桃山町西町

浄土宗、法雲山と号し、本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、慶雲二年(七〇五)定慧の草創。初め法雲ほううん寺と称し、仁寿二年(八五二)三井寺(園城寺、現滋賀県大津市)の円珍が勅を奉じ伽藍を修して天台宗に改め、六体の地蔵尊を安置して一宇を建立。六地蔵堂と称したが、保元年中(一一五六―五九)これを洛外六ヵ所に配置したという。「京都府地誌」によれば、その後たびたび兵火にかかり衰退、永禄四年(一五六一)僧琳公が中興して浄土宗に改めた。しかし元禄一六年(一七〇三)一一月火災にかかって「旧記過半焼亡」、宝永元年(一七〇四)勧修寺宮宮殿を賜って堂宇を再建したと伝える。


大善寺
だいぜんじ

[現在地名]新旭町新庄

新庄しんじよう集落のほぼ中央に位置する。放光山と号し、天台真盛宗。本尊大日如来。寺伝によると、延暦年間(七八二―八〇六)の草創で、かつて熊野くまの山とよばれた丘陵地(現饗庭野)の中の堂立どうたて山にあったが、寛平年間(八八九―八九八)比叡新ひえしん荘が置かれたとき東川原ひがしかわら村に移され、堂塔を備えた大寺であったという。寛平四年の比叡新庄之図(竹内家蔵)によると、比叡新荘は安曇あど川を中心に南岸・北岸に広がり、北岸の東川原の位置に寺院の印と「大善教寺荘内除所」の文字がある。当寺が早い時期に存在していたことが確証づけられる。元亀二年(一五七一)織田信長によって焼失したが、新庄城主織田信澄が帰依し、再建につとめた。大溝おおみぞ(現滋賀県高島町)築城のときには大溝城下に別院を建立している。


大善寺
だいぜんじ

[現在地名]三原市西町

恵下谷えげだに川右岸、極楽ごくらく橋西にある。増上山広度院と号し浄土宗。本尊阿弥陀如来。「三原志稿」に創立など不詳で、もと新高山にいたかやま(現豊田郡本郷町)の麓にあり、天正年中(一五七三―九二)火災に遭ったと記す。「御調郡誌」所収の元禄九年(一六九六)の由来書に、小早川隆景室(慈光院月渓永知大姉)の信仰を受け、天正一〇年、中興勝誉のとき三原に移すとある。


大善寺
だいぜんじ

[現在地名]板柳町板柳 土井

板柳集落の北東、通称博労ばくろう町にあり、枝川鶴田えだがわつるた堰を背にして建つ。無量山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。もと弘前貞昌ていしよう寺末。

貞享四年(一六八七)の検地帳に大善寺とある。蓮門精舎旧詞(続浄土宗全書)に「建元和年中矣開山頓蓮社良教上人」とある。


大善寺
だいぜんじ

[現在地名]宇佐市南宇佐 大善寺

宇佐神宮の南西、寄藻よりも川の南岸に位置する。小山田おやまだ社社司で宇佐宮の御装束所検校・大々工職を世襲した小山田氏の菩提寺。白竜山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。明治一九年(一八八六)の寺籍財産明細帳(寺蔵)によれば正保二年(一六四五)の創建で、開基は小山田惟貞か(「小山田氏系図」小山田文書)。寛文元年(一六六一)の御社恩配当帳(広崎文書)では高三斗とみえる。


大善寺
だいぜんじ

[現在地名]五條市中之町

嵯峨山釈迦院と号し、高野山真言宗。本尊の清凉寺式木造釈迦如来立像(国指定重要文化財)は応仁二年(一四六八)在銘。本堂棟札に「上棟奉建立宇智(ママ)牧野大善寺釈迦堂時之住寺長算敬白而已 天正六年戊寅九月二日」の墨書がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大善寺」の意味・わかりやすい解説

大善寺
だいぜんじ

山梨県甲州(こうしゅう)市勝沼町勝沼(かつぬまちょうかつぬま)にある真言(しんごん)宗智山(ちさん)派の寺。山号は柏尾山(かしおざん)。本尊は薬師如来(にょらい)。「ぶどう薬師」の名で親しまれている。寺伝によれば、718年(養老2)に行基(ぎょうき)によって創建され、聖武(しょうむ)天皇の祈願所となったという。1197年(建久8)源頼朝(よりとも)の寄進で鎌倉幕府の祈祷(きとう)所となる。その後、天災・戦火によってたびたび焼失・再建を重ねたが、江戸時代には寺領三百二石を領した。本堂(薬師堂。国宝)は寄棟造檜皮葺(よせむねづくりひわだぶ)きで、柱に「弘安(こうあん)九」(1286)の刻銘があり、鎌倉時代の代表的建築。本尊の木造薬師三尊像(国重要文化財)は平安後期の作。ほかに源平・足利(あしかが)・武田氏に関する古文書を多く蔵する。客殿前の庭園は池泉観賞式蓬莱(ほうらい)庭園で、県名勝。毎年5月8日に行われる藤切会式(ふじきりえしき)は別名「おやくしさい」といわれ、勇壮な祭りとして名高い。10月1日の鳥居焼もよく知られている。

[祖父江章子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大善寺」の意味・わかりやすい解説

大善寺
だいぜんじ

山梨県甲州市にある真言宗智山派の寺。柏尾寺ともいう。行基が創立した古寺と伝えられるが,実際は本尊の『薬師三尊像』のつくられた平安時代中期の造立と考えられる。本堂は弘安9 (1286) 年の建築で,大仏様を交えている点が東国では珍しく,国宝に指定されている。

大善寺
だいぜんじ

福岡県南西部,久留米市南西の旧町域,筑邦の一地区。鬼夜の火祭りで知られる玉垂宮 (たまたれぐう) があり,その門前町として発達した。御塚・権現塚古墳があり,国の史跡に指定されている。

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百科事典マイペディア 「大善寺」の意味・わかりやすい解説

大善寺【だいぜんじ】

山梨県甲州市にある真言宗智山派の寺。天平年間(729年―749年)に行基の開創と伝える。源頼朝が寺地を寄進,鎌倉幕府の祈願所となる。北条・足利・武田各氏の外護を受く。国宝の本堂は鎌倉期の建築で,藤原仏の薬師三尊(重要文化財)を本尊とする。

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デジタル大辞泉プラス 「大善寺」の解説

大善寺〔山梨県〕

山梨県甲州市にある寺院。真言宗智山派。山号は柏尾山。718年開創と伝わる。鎌倉時代に建立された本堂は国宝に指定。本尊の薬師如来像は国の重要文化財。「ぶどう寺」「ぶどう薬師」とも呼ばれる。

大善寺〔滋賀県〕

滋賀県高島市にある寺院。天台真盛宗。本尊の大日如来坐像は、国の重要文化財に指定。

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世界大百科事典(旧版)内の大善寺の言及

【関東十八檀林】より

…しかし最後にできた深川霊巌寺は24年(寛永1)の開山であるので,制度としての確立はそれ以降のことである。かくして成立した十八檀林は,開山の年代順に相模鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺(埼玉県鴻巣市),常陸瓜連常福寺(茨城県那珂郡瓜連町),江戸芝増上寺,下総飯沼弘経寺(茨城県水海道市),下総小金東漸寺(千葉県松戸市),上総生実(おゆみ)大巌寺(千葉市),武蔵川越蓮馨寺(埼玉県川越市),武蔵滝山大善寺(東京都八王子市),武蔵岩槻浄国寺(埼玉県岩槻市),常陸江戸崎大念寺(茨城県稲敷郡江戸崎町),上野館林善導寺(群馬県館林市),下総結城弘経寺(茨城県結城市),江戸本所霊山(りようぜん)寺(東京都墨田区),江戸下谷幡随院(東京都小金井市,もと台東区浅草神吉町),江戸小石川伝通院,上野新田大光院(群馬県太田市),江戸深川霊巌寺(東京都江東区)である。学問所としての檀林はやがて幕府の寺院統制下で行政の一端をにない,一,二の変動はあったが宗教行政の中心となった。…

※「大善寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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