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衣笠城 きぬがさじょう

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日本の城がわかる事典の解説

きぬがさじょう【衣笠城】

神奈川県横須賀市にあった山城(やまじろ)。三浦半島のほぼ中央部の衣笠山(標高130m)の山上にあった鎌倉時代の有力御家人の三浦氏の居城である。三浦氏の祖の三浦為通(平為通)が前九年の役(1051~62年)での戦功により、源頼義から相模国三浦の領地を与えられ、1062年(康平5)に城を築いたのがその起源とされる。以降、同城は三浦氏の本拠となり、同氏の勢力拡大とともに増築・拡張された。源頼朝が伊豆で挙兵し石橋山の戦いが起こると、城主の三浦義明とその子の義澄は北条氏などとともに頼朝に味方したが大庭景親ら平家勢3000人と戦って敗れた。その後、衣笠城に退いたが、畠山重忠、河越重頼、江戸重長ら平家方と合戦(衣笠城合戦)となり、衣笠城は落城して義明は討ち死にし、義澄と一族は頼朝を追って安房に逃れた。その後、鎌倉幕府が成立すると、衣笠城は再び三浦氏の本拠となった。しかし、頼朝の死後、北条氏は有力御家人を次々排斥・滅亡させていき、1213年(建保1)に一族の和田義盛が和田合戦で滅ぼされ、1247年(宝治1)の宝治合戦で三浦本家も滅亡した。その際、三浦氏の傍流の佐原盛時は北条氏に味方したため滅亡を免れて三浦介(みうらのすけ)を継ぐことが許され、のちに戦国大名の相模三浦氏となるが、領地が三浦半島南部にかぎられたために衣笠城は廃城となった。このとき、盛時は新井城(三浦市)を新しい居城にしたとする説がある。城跡は現在、衣笠山公園や大善寺の境内になっており、井戸、堀跡などの遺構がわずかに残っている。また、城跡近くの滿昌寺には衣笠城合戦で戦死した三浦義明の墓所がある。JR横須賀線衣笠駅から徒歩約20分。

出典|講談社
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