三浦義明(読み)ミウラヨシアキ

関連語 吾妻鏡 家人 格言

精選版 日本国語大辞典 「三浦義明」の意味・読み・例文・類語

みうら‐よしあき【三浦義明】

  1. 平安末期、源氏の武将。相模国神奈川県三浦の人。頼朝挙兵の際、子義澄ら一族をして忠を尽くさせたが、自らは平氏側の畠山重忠に攻められ、衣笠城で敗死した。寛治六~治承四年(一〇九二‐一一八〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三浦義明」の意味・わかりやすい解説

三浦義明
みうらよしあき
(1092―1180)

平安後期の武将。義次(よしつぐ)(継)の子。三浦大介(おおすけ)を名のり、以後三浦氏の嫡流は三浦介を称した。1180年(治承4)頼朝(よりとも)の挙兵に呼応し、石橋山の戦いに子の義澄(よしずみ)らを遣わしてたすけたが、畠山重忠(はたけやましげただ)、河越重頼(かわごえしげより)、江戸重長(えどしげなが)らに本拠衣笠(きぬがさ)城(神奈川県横須賀市)を攻められて落城。89歳の義明は、老命を頼朝のために捨てて子孫勲功を募りたいといって、義澄ら一族を頼朝のもとに赴かせ、ひとり城にとどまって最期を遂げた。源氏再興のために忠誠を尽くした雄将である。

[三浦勝男]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三浦義明」の解説

三浦義明 みうら-よしあき

1092-1180 平安時代後期の武将。
寛治(かんじ)6年生まれ。三浦義継(よしつぐ)の子。相模(さがみ)(神奈川県)三浦荘を本拠とし,三浦大介(おおすけ)を称した。治承(じしょう)4年源頼朝の挙兵に子の義澄らを派遣したが,石橋山の敗戦をきいて衣笠(きぬがさ)城に籠城,平家方についていた畠山重忠らの来襲をうけた。一族を脱出させてひとり城にとどまり,同年8月27日討ち死に。89歳。
【格言など】われ源家累代の家人として幸いにその貴種再興のときに逢うなり(「吾妻鏡」)

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