西ヶ谷(読み)かさいがやつ

日本歴史地名大系 「西ヶ谷」の解説

西ヶ谷
かさいがやつ

宝戒ほうかい寺の背後東勝とうしよう寺があった地域。前方なめり川を配し、後方屏風びようぶ山と小富士こふじ山に囲まれた要害堅固な谷である。谷名は源頼朝重臣の葛西清重亭があったのにちなむという。かつて、お馬屋敷うまやしきという小名があった。

吾妻鏡承久三年(一二二一)五月一九日条に、承久の乱に際し、北条義時追討の宣旨や添状などをもった朝廷の使者押松がこの谷で捕らえられたという記事があり、「承久軍物語」も同じ内容を伝える。「吾妻鏡」建長三年(一二五一)二月二〇日条には、谷の後山が崩れて多くの人が土石に押され二人が死亡したという。元弘三年(一三三三)新田義貞に攻められて北条高時らはこの谷に引籠り、重臣たちは防戦に努めたが利なく、五月二二日に東勝寺で自害した(太平記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む