日本歴史地名大系 「西北小路町」の解説 西北小路町にしきたこうじちよう 京都市:上京区西陣学区西北小路町上京区大宮通寺之内下ル東入東西に通る寺之内(てらのうち)通と上立売(かみたちうり)通の間の通りを挟む両側町。元亀二年(一五七一)御借米之記と上下京御膳方御月賄米寄帳に西北大路とみえ、当時は上京川西組に属した。寛永一四年(一六三七)洛中絵図は町の東を「大北小路西丁」、西を「当广(麻)丁」と記す。以後この呼称が多いが、承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図などには、両町を併せて「たゑま丁」と記す。当麻町の名は、天正年中(一五七三―九二)京極三条(現中京区)に移った天性(てんしよう)寺があり、当寺が当麻曼荼羅の信仰を集めたことによるという(坊目誌)。 西北小路町にしきたこうじちよう 京都市:上京区嘉楽学区西北小路町上京区今出川通智恵光院西入町の南寄りを東西に今出川(いまでがわ)通が通り、東は智恵光院(ちえこういん)通。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「西北小路丁」とあり、その後この呼称が多く用いられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by