阿弥陀仏の治める極楽浄土の図相を表した曼荼羅。当麻寺所蔵のものを原本とする。極楽浄土の情景を表す仏画は〈阿弥陀浄土変〉〈極楽浄土変〉〈西方変〉などと呼ばれ,中国では5世紀ごろから浄土教の重要主題として主に絵画によって表現される。これらのうち,とくに《観無量寿経》の教義内容を図解した阿弥陀浄土変を〈観無量寿経変〉(略して観経変)という。当麻曼荼羅は日本で最も広く流布した観経変の一つで,奈良時代にさかのぼる原本を伝える。本図の図相の典拠は,7世紀中国浄土教の隆盛を築いた善導の《観無量寿経疏》とみられ,きわめて完成された構成を示す。画面の中央に極楽浄土の情景を精細に表す点は他の浄土変と異ならないが,その左右と下辺の外縁部分に同疏にもとづいて《観無量寿経》の経意を描いているところに特色がある。すなわち向かって左辺には同経の序章に相当する説話を下から上に描くが,最下段は阿闍世(あじやせ)太子が王位奪のために父頻婆娑羅(びんばしやら)王を幽閉する場面。以下,母韋提希(いだいけ)が夫のために献身しみずからも幽閉される場面。ついで傷心の母后が,訪れた釈尊に清浄世界を教授するよう求め,これに対して釈尊が顕現した十方世界の中から極楽世界を選び,そこへの往生の法を問うという筋書である。次に,右辺は上段より極楽への往生法として極楽浄土の観想法を説く。それらは日想観,水想観,地想観,樹想観,池想観,華座観とつづき,阿弥陀仏,観音,勢至の諸尊を観想する十三観からなる。最後は下段の九品往生相で,機根に応じた往生の相を右より左へ描く。以上が図相の大要であるが,原本は当麻寺に現存し,複雑な図様を精巧な綴(つづれ)織の技法で表した奈良時代の貴重な織成品である。縦横1丈3尺(約4m)余の大幅。来歴は明らかでないが,当代の貴顕(女性に擬せられる)の発願になるものであろう(《当麻曼荼羅縁起》)。なお本図の信仰は鎌倉時代に再燃し,浄土宗西山派を中心に多くの副本が作られた。京都禅林寺本が著名である。
→浄土教美術
執筆者:浜田 隆
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…1180年(治承4)の兵乱で金堂が大破,講堂が炎上した。金堂は84年(寿永3),講堂は1303年(嘉元1)に再建されたが,この災害復興期から,当寺は阿弥陀浄土変(当麻曼荼羅)を中心とした寺となっていった。 当寺に施入された曼荼羅に対する信仰は,浄土教信仰の興隆や中将姫伝説と深く結びついているが,1161年(応保1)曼荼羅堂大改造の前後より高まり,鎌倉時代になってとくに盛んとなった。…
…当麻(たいま)寺の曼荼羅(まんだら)を織ったとされる伝説上の女性。中将姫の物語を要約すると,継子虐待と当麻曼荼羅の由来にしぼることができる。継母の讒言(ざんげん)を信じた父横佩(よこはぎ)の右大臣豊成の命によって雲雀山で殺されることになった中将姫は,臣下夫婦にかくまわれて命をつなぐ。…
…今わずかに《法華堂根本曼荼羅》(ボストン美術館。東大寺法華堂旧蔵),綴織《当麻曼荼羅》(当麻寺)に往時をしのぶことができる。前者は麻布に描かれ,山水を背景に釈迦の左右に菩薩,比丘形がめぐる,法華経に説く霊鷲山(りようじゆせん)説法図が描かれている。…
…日本では奈良時代から平安時代中期にかけて観想念仏が盛んであり,観想のために阿弥陀浄土変相図がつくられた。智光曼荼羅,当麻(たいま)曼荼羅などがそれである。平安時代初期に最澄の弟子円仁(えんにん)が,唐の法照(ほつしよう)がはじめた五会(ごえ)念仏の流れをくむ五台山念仏三昧法を比叡山に移し,常行三昧(じようぎようざんまい)を修したが,五会念仏は5種の音声からなる音楽的な称名念仏であった。…
※「当麻曼荼羅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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