日本歴史地名大系 「西吉田村」の解説 西吉田村にしよしだむら 岡山県:津山市旧勝田郡地区西吉田村[現在地名]津山市西吉田勝南(しようなん)郡に属し、北は河辺(かわなべ)村、西は瓜生原(うりゆうばら)村に接し、村内を広戸(ひろど)川が流れる。もと吉田村と称し、元禄(一六八八―一七〇四)末期頃西吉田村と改称したという。慶長九年(一六〇四)の検地では、拝領高二八一石余に対し検地高は三八九石余で、一〇七石余の打出となっている。名請人のうち屋敷持二〇人・無屋敷一八人(岡山県史)。元禄一一年幕府領となり、同一四年から宝永六年(一七〇九)まで甲斐甲府藩徳川綱豊領、その後幕府領となり、天明七年(一七八七)から寛政一一年(一七九九)まで下総国佐倉藩堀田氏領、同年から文化四年(一八〇七)まで美濃国岩村藩領、その後再び幕府領となり、文政元年(一八一八)以後津山藩領(美作国郷村支配記)。 西吉田村にしよしだむら 佐賀県:藤津郡嬉野町西吉田村[現在地名]嬉野町大字吉田(よしだ)字西吉田現嬉野町の中央部に位置しており、西湯(にしゆ)岳の南東にあたる。正保絵図に村名がみえる。貞享四年(一六八七)改・元文三年(一七三八)写の御領中郷村帳(佐賀県立図書館蔵)には「西吉田村・赤新田村 鍋島伝兵衛給」とあるが、西吉田村の蓮池(はすのいけ)領は村中に高二四七石五升ある(芙容旧話)ので、鍋島伝兵衛の知行地の赤新田(あかにた)村は西吉田村の別れかと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by