西喜殿庄(読み)にしきどののしよう

日本歴史地名大系 「西喜殿庄」の解説

西喜殿庄
にしきどののしよう

東大寺の灯油料所五ヵ所の一である。久安三年(一一四七)の東大寺御油荘公事注進状(東大寺文書)

<資料は省略されています>

とある。これら五ヵ庄はもと大和守源頼親の私領であったが、彼によって灯油免田として東大寺に寄進された(→高殿庄。西喜殿庄の面積は五町、その所在荘号などからみると、東喜殿庄(現上飛騨町付近)の西、現城殿きどの町付近と考えられる。この限り、摂関家領喜殿庄のうちで、大和国高市郡司刀禰等解案(東大寺文書)にある女子分すなわち東二七条一里辺り(→喜殿庄となり、西喜殿庄も源頼親の寄進になる摂関家領であったと一応推測できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む