高殿庄(読み)たかどののしよう

日本歴史地名大系 「高殿庄」の解説

高殿庄
たかどののしよう

東大寺灯油料所五ヵ所の一である。その経緯は嘉応二年(一一七〇)の興福寺西金堂満衆等解案(筒井寛聖氏蔵東大寺文書)

<資料は省略されています>

とあり、東大寺の灯油等は聖武天皇の勅施入によるものであり、大和の諸郡から上納していた。しかし源頼親が大和守の時(一一世紀前半)、彼の私領を充てることになったが、その一が高殿庄である。したがって、嘉応元年の勧学院政所下文(東大寺文書)に「当庄(高殿庄)の当初領主源前司」とあるように、同庄の領家は源頼親家であったものと考えられる。その後の動きはわからないが、前掲の西金堂満衆等解案では「領家当時内大臣家也」とあり、内大臣家は源雅通(村上源氏)家と考えられている。同家が領家となった経緯は不明である。平安時代の同庄の本家は摂関家であったと考えられる。領域的には後述のとおり、摂関家領喜殿きどの庄内と考えられるほか、次の伊予三位国明後家が高殿庄内の私領三町を興福寺西金堂に寄進した際に長者宣が出されていることなどがあげられる。前掲西金堂満衆等解案には「高殿庄従往古西金堂領事、右件庄者、伊予三位国明後家私領也、仍為滅罪生善、被施入当堂畢、天承二年長者宣寺家下文国司免判、以顕然也」とある。もっとも、長者宣は現存していない。この西金堂領については、元暦二年(一一八五)の勧学院政所下文案(東大寺文書)によると、高殿庄内三町の領主(領家)は源頼親以来藤中納言家に至っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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