西尾吉太郎(読み)ニシオ キチタロウ

20世紀日本人名事典 「西尾吉太郎」の解説

西尾 吉太郎
ニシオ キチタロウ

明治期の新聞人 山陽新報社主。



生年
安政5年2月10日(1858年)

没年
昭和5(1930)年2月27日

出生地
備前国岡山(岡山県岡山市)

経歴
明治9年に所用で上京した折り、新聞を売り歩く読み売りを見て新聞の発行を志す。郷里岡山に戻ったのち、岡山県師範学校副校長の野崎又六の協力を得て元「東京評論新聞」編集長の小松原英太郎主筆に迎え、12年「山陽新報」(のちの「山陽新聞」)を創刊。はじめは岡山県令高崎五六と協調したが、のちには自由民権運動の高揚官憲批判に乗り出し、14年には長期の発行停止処分を受けた。同年県令側が「吉備日々新聞」を発行して「山陽新報」に対抗すると、18年には全国に先駆けて夕刊を発行し、巻き返しに成功。その後も、同社主として経営に邁進し、徐々に発行部数を伸ばして今日の「山陽新聞」の基盤を固めた。38年に同社を引退し、以降は岡山市議・岡山商業会議所議員などを歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西尾吉太郎」の解説

西尾吉太郎 にしお-きちたろう

1858-1930 明治時代の新聞経営者。
安政5年2月10日生まれ。明治12年小松原英太郎を主筆にむかえて岡山市で「山陽新報」(「山陽新聞」の前身)を創刊。発行停止など官憲の弾圧にもまけず,18年には夕刊を発行した。昭和5年2月27日死去。73歳。備前(岡山県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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