西川伊三郎(読み)にしかわ・いさぶろう

朝日日本歴史人物事典 「西川伊三郎」の解説

西川伊三郎(3代)

没年明治5.1(1872)
生年:文化8(1811)
幕末江戸人形遣い名手本名不詳。大坂生まれ。2代目吉田冠蔵に入門して東九郎を名乗ったが,江戸に下り2代目西川伊三郎の養子分となって3代目を襲名,その後,西川家にゆかりある吉田冠二の3代目(一説に2代目)を継ぎ,さらに受領して陸奥大掾となった。若いころは女形で評判を得たが後に立役に転じ,結城,薩摩の両座に出演して名手の誉れが高かった。しかし資料に乏しく,改名年月なども確定出来ず不明な点が少なくない。少年期の初代桐竹紋十郎を育てたことでも知られる。「寺子屋」のいろは送りの型を工夫したと伝える。<参考文献>『義太夫年表/近世篇』『増補浄瑠璃大系図』

(山田庄一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西川伊三郎」の解説

西川伊三郎(3代) にしかわ-いさぶろう

1811-1872 江戸後期-明治時代の人形遣い。
文化8年生まれ。大坂から江戸にいき3代伊三郎をつぐ。のち西川家ゆかりの3代吉田冠二をつぎ,陸奥大掾(みちのくのだいじょう)を受領して江戸の結城(ゆうき)座で活躍した。明治5年1月5日死去。62歳。

西川伊三郎(5代) にしかわ-いさぶろう

1844-1905 幕末-明治時代の人形遣い。
天保(てんぽう)15年生まれ。西川伊三郎(3代)の子。明治のはじめ5代をつぎ,東京で活動した。明治38年10月死去。62歳。江戸出身。

西川伊三郎(2代) にしかわ-いさぶろう

1778-1846 江戸時代後期の人形遣い。
安永7年生まれ。初代伊三郎の門人。江戸の肥前座などで座頭として活躍した。弘化(こうか)3年8月12日死去。69歳。本名は萩野忠次郎。

西川伊三郎(初代) にしかわ-いさぶろう

?-? 江戸時代中期-後期の人形遣い。
大坂から江戸にいき活動した西川吉右衛門といわれる。天保(てんぽう)3年(1832)ごろ死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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