西平原村
にしひらばらむら
[現在地名]益田市西平原町
西平原川が西流し、東は土田村、南は木部村、北は日本海に臨む。海浜はほとんど崖状で良港に恵まれず、魚待ノ鼻が海に突出する。地名は高山の傍らの平坦な原野によるという(石見八重葎)。永和二年(一三七六)四月二二日の益田本郷御年貢并田数目録帳(益田家文書)に石迫入道名の所在地として「平原」とみえる。永徳三年(一三八三)八月一〇日に益田祥兼が次男兼弘に譲渡した所領のなかに、益田本郷内の「大谷平原加浦役」がみえる(「益田祥兼置文」同文書)。江戸時代の支配の変遷は益田村と同じ。元和五年(一六一九)の古田領郷帳では平原村として高一八六石余、年貢は田方六八石余・畑方七石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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