西忍村
にししのびむら
宮川左岸にあり、南対岸は林村、西は森安村。村域中央に牛山とよぶ丘陵があり、耕地と集落はこれを取巻くように発達している。この環状の耕地部分は往古の宮川の河跡湖で、西部は沼沢地として後年まで残った。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳によれば、小鷹利郷のうちに「忍村保村共」とあり、田方四三九石余・畑方二八二石余、物成二一六石余とある。この忍村は当村・森安村・高牧村の三ヵ村同名をさす。同一八年の郷帳では西しのひ村とあり、高一〇三石余。この高も三ヵ村を合せたものである。元禄検地帳(宮川村文書)では高二〇八石余、田一一町二反余・畑二四町六反余。漆八畝、焼畑六町九反余で、名請人三四人、屋敷持四五人、うち一〇人家抱え、一軒観音寺とある。また特記すべきは稲干場七反七畝余があり、その大半は村抱えとなっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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