西新井村(読み)にしあらいむら

日本歴史地名大系 「西新井村」の解説

西新井村
にしあらいむら

[現在地名]古川市西荒井

幾筋も流れる多田ただ川支流に挟まれた水田地帯にあり、北は米倉よねくら村、南は多田川本流を挟んで高柳たかやなぎ(現志田郡三本木町)、東は稲葉いなば村、西は飯川いいがわ村と接する。元和九年(一六二三)二月一六日の伊達政宗領知黒印状(伊達家文書)によれば、「一弐貫七百六文、志田之内、福浦西荒井久荒」などの四ヵ所計二〇貫七二二文が広田彦左衛門尉に与えられている。

西新井村
にしあらいむら

[現在地名]越谷市西新井

神明下しんめいした村の西に位置し、集落荒川(元荒川)旧流路の自然堤防沿いに連なる。田園簿に村名がみえ、高は田方一千一〇石余・畑方九六石余、幕府領。寛文四年―天和二年(一六六四―八二)領主越巻こしまき村に同じ。同年幕府領に復したが、宝暦六年(一七五六)一部が岩槻藩領となり、この相給状態で幕末に至る(同一〇年「大岡忠光領知村寄目録写」千葉県中村家文書、「風土記稿」、改革組合取調書など)。元禄一〇年(一六九七)検地帳(新井家文書)によると高一千一一〇石余、反別一〇五町二反余(うち田八八町余・畑一七町二反余)、高外に林八畝余がある。

西新井村
にしあらいむら

[現在地名]足立区西新井一―七丁目・西新井本町にしあらいほんちよう一―四丁目など

栗原くりはら村の西に位置し、北は伊興いこう村、西は谷在家やざいけ村、南は興野おきの村。西部を見沼代みぬまだい用水水系の西新井堀が流れるほか、同水系に属する袋在家ふくろざいけ堀が北東部の耕地を灌漑する。慶長六年(一六〇一)の清滝院宥盛書状(東漸院文書)に「西新井惣持寺」とみえる。田園簿に村名がみえ、田六二二石余・畑一六二石余、ほかに見取場として田一反余・畑二反歩があり、惣持そうじ(総持寺)領二〇石。元禄郷帳では高六〇三石余に減少しているが、これは見沼用水の水量不足が原因と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android