越谷市(読み)コシガヤシ

デジタル大辞泉 「越谷市」の意味・読み・例文・類語

こしがや‐し【越谷市】

越谷

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日本歴史地名大系 「越谷市」の解説

越谷市
こしがやし

面積:六〇・三一平方キロ

県東部の沖積低地に位置し、東は古利根川(中川)を挟んで北葛飾郡松伏まつぶし町・吉川よしかわ町、北から西にかけては春日部市・岩槻市、西から南にかけてはおよそ御菜ごさい川・綾瀬川を介して岩槻市・川口市・草加市に接する。市の中央を北西から南東にかけて元荒川新方にいがた(千間堀)が流れ、いずれも吉川町境で古利根川に合流。そのほか末田すえだ大用水・須賀すか用水、葛西かさい用水(逆川)八条はちじよう用水、谷古田やこだ用水(都市化で機能消失)むら用水(都市化で機能を消失し暗渠排水路となる)出羽でわ堀・幹川排水路などが縦横に流れる。交通路は南北に東武鉄道伊勢崎線、国道四号(旧草加バイパス)、県道足立―越谷線(旧国道四号)など、東西にJR武蔵野線、主要地方道越谷―野田線、同浦和―越谷線などが走る。市名は江戸時代に日光道中の宿として栄え、近代以降も当地方の中心地であった越ヶ谷町を継承。

〔原始・古代〕

利根川乱流時代に発達した自然堤防上に見田方みたかた遺跡が所在し、古墳時代後期の竪穴住居跡と住居跡類似の遺構が確認された。竪穴住居跡からは鬼高式の土師器須恵器・紡錘車・土錘が発見された。また建築用材も多量に発掘されている。この集落は自然堤防上に営まれているが、籾などの出土から後背湿地を水田とし、また多量な土錘の存在から網漁も行われていたとみられている。律令制下では埼玉郡および下総国葛飾郡に属し、「和名抄」東急本にみえる埼玉郡余戸あまるべ郷を市域に比定する説があるが、確かではない。式内社はなく、古代創立を伝える寺社があるものの史料上では確認できない。市域には四条しじよう四町野しちようの大里おおさと間久里まくりなど条里制の遺名とみられる地名があり、所によっては条里の遺構が認められる。

〔中世〕

埼玉郡は平安時代末期に東西に分立したとみられ、当地方は埼西きさい(崎西・騎西・寄西)郡に属した。埼西郡は市域では現在の元荒川の右岸域を占め、左岸域の現古利根川との間の輪中地帯(近世の新方領)は引続き下総国葛飾郡に属していた。埼西郡域には越ヶ谷郷・大相模おおさがみ郷・八条郷が成立しており、越ヶ谷郷は永禄五年(一五六二)と推定される戌八月二六日の北条家印判状(本田文書)に「越谷・舎人」とみえ、両郷は大郷であると記されている。なお千葉大系図(房総叢書)に載る野与党古志賀谷氏は越ヶ谷郷を本領(名字の地)とした武士であろう。大相模郷は江戸時代の西方にしかた村・東方村・見田方村の地域に比定され、元亀三年(一五七二)二月九日付で岩付いわつき(岩槻)城代北条氏繁が西方の不動院(別当大聖寺)に宛てた判物(大聖寺文書)などにみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「越谷市」の意味・わかりやすい解説

越谷〔市〕
こしがや

埼玉県南東部,古利根川元荒川沿岸にある市。 1958年市制。中心市街地の越谷は元荒川の自然堤防上に発達した地区で,江戸時代には奥州街道宿場町市場町で,2と7の日には市が立った。明治期に入って,東武鉄道伊勢崎線が開通したが,米や野菜の一集散地にとどまった。 1950年代以降は,都市化が急速に進み,特に国道4号線バイパスの開通と都心からの地下鉄線乗入れ (1966) により住宅,工場の進出が著しく,続く JR武蔵野線の開通 (78) で機械,金属,印刷などの工場が林立した。農村部では野菜,花卉の栽培が行われる。北西部の宮内庁埼玉鴨場は冬季に多くのカモが渡来することで有名。中東部の増林・増森地区のシラコバトは天然記念物。面積 60.24km2。人口 34万1621(2020)。

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