朝日日本歴史人物事典 「大崎義隆」の解説
大崎義隆
戦国末期の武将。義直の子,大崎家最後の領主。天正年間(1573~92)には大崎家は衰え,しかも義隆の寵をめぐって新井田刑部と伊場野惣八郎の争いから内乱が始まり(大崎合戦),これに伊達政宗が介入し,天正16年一度両者は講和した。しかし,翌年政宗が大崎攻めを企てたのに対し,義隆は最上義光の調停を得て政宗と講和。これにより大崎は伊達氏の馬打,つまり軍事指揮下に入り,かつ最上氏と絶って伊達氏と縁納を結ばされた。さらに18年小田原不参の科により領地を没収され,しかも大崎,葛西一揆が起きたため復活もかなわず,義隆は上杉景勝に預けられ会津で死去したという。<参考文献>伊藤信「大崎氏の歴代について」(『宮城の研究』3巻)
(伊藤清郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報