西村捨三(読み)ニシムラ ステゾウ

20世紀日本人名事典 「西村捨三」の解説

西村 捨三
ニシムラ ステゾウ

明治期の官僚 農商務次官;大阪府知事。



生年
天保14年7月29日(1843年)

没年
明治41(1908)年1月14日

出生地
近江国彦根下片原(滋賀県)

別名
初名=得三郎:名=有信,号=酔処

経歴
父は彦根藩の作事奉行。10歳から幼君の井伊直憲に仕える。藩校教授長野主膳推挽により江戸に留学。一代限騎馬従士、藩校教授、京都周旋方などを歴任した。明治2年彦根藩権大参事。5年直憲に従い欧米を巡歴。10年内務省出仕、警保局長、土木局長。22年大阪府知事に就任、淀川改修や上水道整備に努めた。のち農商務次官、北海道炭鉱汽船社長。先人顕彰祭礼の近代化に熱中し、“衣冠の俠客”と呼ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「西村捨三」の解説

西村捨三

没年:明治41.1.14(1908)
生年:天保14.7.29(1843.8.24)
明治期の官僚。父は彦根藩(滋賀県)作事奉行西村又治郎,母は貞。幼君井伊愛麿(直憲)に仕え,藩校弘道館に学んだのち同館国学方教授長野義言(主膳)の推薦を得て藩命により江戸に留学,塩谷宕陰に学んだ。この留学中の放蕩に対し,父が幼名の得三郎を捨三に改めると訓戒したのが名の由来。のち一代限騎馬徒士,藩校教授となる。その間京都周旋方として情報収集に当たり,大政奉還後は朝旨遵奉という藩の方針の下で東山道征討に参加した。明治5(1872)年旧藩主直憲に従い欧米を視察,10年内務省に出仕し,警保局長,土木局長などを歴任した。22年大阪府知事に転じ淀川改修,上水道整備に尽力し,次いで農商務次官のとき平安神宮創建に参画。大阪築港にも貢献した。

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西村捨三」の解説

西村捨三 にしむら-すてぞう

1843-1908 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)14年7月29日生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)彦根藩士。江戸で塩谷宕陰(しおのや-とういん)にまなび,藩校弘道館の教授となる。維新後,内務省にはいり,沖縄県令,大阪府知事などを歴任した。明治41年1月14日死去。66歳。名は有信。号は酔処。著作に「双烈遺事」「御祭草紙」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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