日本歴史地名大系 「西比田村」の解説 西比田村にしひだむら 島根県:能義郡広瀬町西比田村[現在地名]広瀬町西比田東比田村・梶福留(かじふくどめ)村の西、飯梨(いいなし)川(西比田川)の源流地帯にある山村。南は玉峰(たまみね)山(八二〇・三メートル)、御墓(おはか)山(七五八・三メートル)などの山塊を境に仁多(にた)郡大呂(おおろ)村(現横田町)、西は久比須(くびす)峠を境に同郡久比須村(現仁多町)。正保国絵図によると当村から久比須村まで一六町一二間。南方代山奥(しろやまおく)村(現横田町)への道も描かれる。「出雲国風土記」意宇(おう)郡条に「飯梨川 源は三つあり」「一水の源は仁多郡の玉嶺山より出づ」とあるが、この玉嶺(たまみね)山は玉峰山のことで、川は西比田川をいう。また同書仁多郡条にみえる比太(ひだ)社は西比田の比太神社とされ、風土記の時代には当地は仁多郡に含まれていたようである。のち能義郡に属した。中世は比田(庄)に属し、一六世紀には西比田が一つの所領単位となっていた。正保国絵図に村名がみえ、のち当村に含まれる梶村・福富(ふくどめ)村・浜分(はまぶん)村・西谷(にしだに)村もそれぞれ村形・村名が記されている。明暦三年(一六五七)の西比田村検地帳によると田方一〇八町一反余・分米一千二六二石余、畑方二四町五反余・分米一一三石余、屋敷数六八、うち御蔵屋敷一・庄屋一・役人二(浜役人・古市役人)・目代一・寺四・神主三など計一七は引屋敷で残り五一が御役目屋敷。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by