日本大百科全書(ニッポニカ) 「仁多」の意味・わかりやすい解説
仁多
にた
島根県南東部、仁多郡にあった旧町名(仁多町(ちょう))。現在は奥出雲町(おくいずもちょう)の西半分を占める地域。斐伊(ひい)川の上流、中国山地に位置する。旧仁多町は、1955年(昭和30)三成(みなり)町と布勢(ふせ)、三沢(みざわ)、阿井(あい)、亀嵩(かめだけ)の4村が合併して成立。2005年(平成17)横田町と合併して奥出雲町となる。JR木次(きすき)線、国道314号、432号が通じる。地域の大部分は山地で、古くは砂鉄採取が行われたが、現在は仁多米の生産、野菜やシイタケ栽培、和牛の肥育が行われる。亀嵩地区は雲州そろばんの産地。三沢地区の要害(ようがい)山には中世の三沢氏14代の居城跡(三沢城跡。県指定史跡)がある。斐伊川は素戔嗚命(すさのおのみこと)の大蛇(おろち)退治の伝説で知られ、その支流大馬木(おおまき)川にはV字形の渓谷、鬼の舌震(したぶるい)(国の名勝・天然記念物)があり、県立自然公園となっている。
[石橋忠男]
『『仁多町誌』(1996・仁多町)』