西津庄(読み)にしづのしよう

日本歴史地名大系 「西津庄」の解説

西津庄
にしづのしよう

近世の西津村域の過半田烏たがらす(多烏)浦の一部に比定される京都高尾神護たかおじんご寺領。嘉応二年(一一七〇)六月一六日付某書状(日下文書)に西津庄とみえるが、若狭国の西津か否か明らかでない。しかし年号不詳の源頼朝書状(神護寺文書)

<資料は省略されています>

とあり、元暦二年(一一八五)正月一九日付の僧文覚起請文(神護寺文書)に「又若狭国西津勝載使之得分、資良以令寄進故、如本被成定当寺御領畢」とみえるのと併せて、神護寺領西津庄の確立に関する早期の史料といえよう。文治四年(一一八八)七月二四日には、後白河法皇から神護寺領八ヵ所の役夫工を免除する院宣(同文書)が文覚宛に発給されており、八ヵ所のうちに若狭国西津庄の名がみえる。承久の乱に際していったん没収されたが、承久四年(一二二二)二月一〇日に後高倉上皇院宣(同文書)が浄覚宛に発給され、西津庄以下五庄が返付される。このあたりの事情は、下って文永七年(一二七〇)三月二四日付秦守高注進状(秦文書)

<資料は省略されています>

とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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