日本歴史地名大系 「西津村」の解説 西津村にしづむら 福井県:小浜市西津村[現在地名]小浜市雲浜(うんぴん)一―二丁目・山手(やまて)一―三丁目・水取(みずとり)一―四丁目・小湊(こみなと)・大湊(おおみなと)・板屋(いたや)町・堀屋敷(ほりやしき)・北長(きたなが)町・西長(にしなが)町・西津福谷(にしづふくたに)・北塩屋(きたしおや)・新小松原(しんこまつばら)・下竹原(しもだわら)・小松原川東(かわひがし)・小松原川西(かわにし)東は天(てん)ヶ城(じよう)山から南方丸山(まるやま)に延びる枝峰で限られ、西は小浜湾に面する広域の村。北は甲(こ)ヶ崎(さき)村、南は北(きた)川。北川を挟んで小浜城がある。東の山裾一帯には農業中心の大湊・小湊・北塩屋・堀屋敷の四集落があり、海岸部に漁業を営む小松原(小尻小松原とも)・下竹原(竹原小松原とも)・新小松原(出村とも)の三集落がある。 西津村にしつくみむら 岐阜県:揖斐郡久瀬村西津村[現在地名]久瀬村西津汲外津汲(とづくみ)村の北方、揖斐川右岸に立地する。南西方に飯盛(いいもり)山がそびえ、西より日坂(ひさか)川が流れる。豊臣秀吉(代官石田三成)の蔵入地を示す天正一九年(一五九一)四月二七日の近江国・美濃国御蔵入目録(林祝太郎氏所蔵文書)に池田(いけだ)郡「つくミむら」一〇七石一斗余とある。文禄三年(一五九四)の豊臣秀次朱印知行目録(寺西文書)では当地一〇七石余などが寺西新五郎に与えられている。慶長郷帳に「つぐら村」とみえるのが当村と考えられ、高一二一石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では松平忠良(大垣藩)領。正保郷帳では尾張藩領で、田二〇石余・畑九六石余・山年貢一四石・紙木高三石余のほか、小物成に入木四四束・ひそ木四七六本があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by