西浜御殿跡
にしはまごてんあと
[現在地名]和歌山市西浜
和歌山藩主の別館。水軒川の南端、大浦湾に面した景勝の地にあった。紀州徳川氏二代光貞の時初めて造営されたもので、「続風土記」西浜村の項に「村の西数歩に君上の別館あり、西浜御殿と称す、此地若山を去る事遠からすして市
塵囂の跡なく、四方広廓にして眺望殊に宜きを以て、先君清渓公創めて別館を営み給ふ」とある。文政二年(一八一九)一〇代治宝の隠居所として増修され、弘化二年(一八四五)にも増営および模様替え、庭園の修理が行われた。嘉永五年(一八五二)一二月、ここで治宝は死去し、その後主要な建物は毀却された(南紀徳川史)。
西浜御殿跡
にしはまごてんあと
[現在地名]熱田区神戸町
西御殿・西御茶屋ともいう。浜鳥居の西、熱田奉行役所の南にあった。公卿・官使、あるいは所縁の大名が熱田往来の時に招待・饗応するために藩が設けた客館で、造営年月は承応三年(一六五四)、仮屋敷ができたのは寛永一六年(一六三九)である(雑志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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