偕楽園焼(読み)カイラクエンヤキ

デジタル大辞泉 「偕楽園焼」の意味・読み・例文・類語

かいらくえん‐やき〔カイラクヱン‐〕【×偕楽園焼】

紀州徳川家御庭おにわ焼き文政(1818~1830)ごろ、10代藩主治宝はるとみが別邸西浜御殿内の偕楽園で、京都らく陶工永楽保全らに焼かせたのに始まる。交趾コーチの写しなどを主に作った。紀州焼。紀州御庭焼

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精選版 日本国語大辞典 「偕楽園焼」の意味・読み・例文・類語

かいらくえん‐やき‥ヱン‥【偕楽園焼】

  1. 〘 名詞 〙 御庭焼の一つ。紀州徳川家一〇代藩主治宝(はるとみ)が、その隠居所西浜御殿の庭、偕楽園に窯(かま)を築き焼成させたもの。京都から永楽保全、仁阿彌道八、楽了入、楽旦入らが招かれた。交趾(コーチ)写しと寿字紋が特徴である。なお、後年の清寧軒焼と共に紀州御庭焼と呼ばれる。紀州焼。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「偕楽園焼」の意味・わかりやすい解説

偕楽園焼
かいらくえんやき

紀州第10代藩主徳川治宝(はるとみ)が別邸西浜御殿内で焼かせた御庭(おにわ)焼。西浜御殿は和歌山市西浜3丁目付近にあったと推定される。治宝は1819年(文政2)3月に御殿が完成してまもなく、京都の楽焼(らくやき)の陶工を招いて開窯し、以後、27年、31年(天保2)、37年と焼造は前後4回にわたって行われたと考えられる。偕楽園の称は邸の庭園の名称に由来し、「偕楽園製」の印銘のほか、参加した主として京都の陶工の印を捺(お)した作品も多い。楽焼に始まり、青磁、染付(そめつけ)、色絵(いろえ)、黄釉(こうゆう)、交趾(こうち)、白磁などすこぶる多彩である。

[矢部良明]

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