西海枝静(読み)サイカイシ シズカ

20世紀日本人名事典 「西海枝静」の解説

西海枝 静
サイカイシ シズカ

明治〜昭和期の神学者



生年
明治1年(1868年)

没年
昭和14(1939)年10月4日

出生地
陸奥国盛岡(岩手県)

学歴〔年〕
正教神学校〔明治23年〕卒,キエフ神学大学

経歴
父・勝巳が正教徒で輔祭を務めていた縁で、明治16年正教神学校に入学。23年卒業と同時に神学の探究のため瀬沼恪三郎・樋口艶之助と共にロシアに留学しキエフ神学大学に学ぶ。27年帰国し母校・正教神学校で教鞭を執る傍ら、同校の機関誌「心海」同人として「グノシス異端」「文学と厭世思想」など多数の神学論文を発表。また大正14年〜昭和8年日本ハリストス正教会本会の機関誌「正教時報」の主筆も務め、「トルストイと基督教」「ソロヴィヨフの復活論」などを執筆した。一方、教会でも活躍し、帰国後間もなく「東京朝日」の嘱託となりロシア事情について評論を発表。「帝国文学」を舞台にツルゲーネフやトルストイについての論文を書いた。明治29年庄司鍾五郎の発案による露語学校にも参画、庄司が外務省に入り同校を辞した後はこれを主宰する。32年「露語読本」を編纂、37年〜大正11年陸軍幼年学校のロシア語教官、日本軍のシベリア出兵時には軍司令部付の陸軍教授であった。陸軍退官後は北樺石油の嘱託を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西海枝静」の解説

西海枝静 さいかいし-しずか

1868-1939 明治-昭和時代前期の神学者。
明治元年生まれ。23年ロシアに留学しキエフ神学大にまなぶ。帰国後,母校正教神学校でおしえる。またハリストス正教会本会の機関誌「正教時報」の主筆もつとめた。昭和14年10月4日死去。72歳。陸奥(むつ)盛岡出身。洗礼名マルク筆名漁舟

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android