西潟元村(読み)にしかたもとむら

日本歴史地名大系 「西潟元村」の解説

西潟元村
にしかたもとむら

[現在地名]高松市屋島西町やしまにしまち

東潟元村の北西に位置し、屋島の西麓と瀬戸内海に面した海岸地に立地する。寛永国絵図では木太きた郷のうちに村名が載り、古高松ふるたかまつ郷のうちに村域の集落浦生うろが載る。寛永一九年(一六四二)の小物成は西片本にしかたもと村として塩五一石九斗七升二合(高松領小物成帳)。屋島地区で最も古い塩田は、西潟元浜(三軒古浜)とされ、相引あいびき川としん川の合流点北西にあった(屋島の塩業誌)。寛文七年(一六六七)高松藩により当村南部の干拓が行われ、塩田・水田が開かれたという(英公外記)。宝暦三年(一七五三)当村百姓らは新たに塩浜築立を藩に願出た。藩主頼恭は藩財政の窮迫と、成功を危ぶむ諸臣の反対を退けて御手元金を投じ、実際の工事は高松城下鶴屋つるや町槙屋十太夫(梶原景山)に命じた。幾度かの堤防決壊など工事は難航したが、同五年完成。亥の年であったので西潟元亥浜いのはま塩田と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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