西蒲田村(読み)にしかまだむら

日本歴史地名大系 「西蒲田村」の解説

西蒲田村
にしかまだむら

[現在地名]姫路市広畑区西蒲田ひろはたくにしかまだ広畑区城山町ひろはたくしろやまちよう広畑区西夢前台ひろはたくにしゆめさきだい四―八丁目・青山あおやま一―六丁目・青山西あおやまにし一―五丁目・青山南あおやまみなみ一―四丁目

飾西しきさい郡に所属。夢前ゆめさき川下流右岸に位置し、対岸東蒲田村。村の西部は標高約一五〇―二〇〇メートルの山が連なり、その東側山麓の扇状地から夢前川にかけての微高地に集落や田畑が立地する。江戸時代を通して姫路藩領。近世初期以前は菅原すがわら村と称したと伝えられるが(「播州古所拾考」智恵袋、「播磨鑑」)、慶長国絵図に村名はみえない。正保郷帳に西鎌田村とみえ、田方三四三石余・畠方七三石余。元禄郷帳では西蒲田村と記され、高四四二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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