朝日日本歴史人物事典 「西郷頼母」の解説
西郷頼母
生年:天保1.閏3.24(1830.5.16)
幕末維新期の会津藩(福島県)家老。本名近悳,頼母は通称。文久2(1862)年家老となったが,藩主松平容保の京都守護職就任に強く反対し家老職を解かれた。戊辰戦争中に復職。その後箱館戦争にも参加し,敗れて館林藩(群馬県)に預けられる。釈放後は日光東照宮の禰宜などを務める一方,後藤象二郎の大同団結運動にも参加。終生政治とは縁を切れなかった。ひげだるまと渾名され,非常に小柄な人物ながら,合気術の達人でもあった。なお会津(東北)戦争では,母,妻はじめ一族21名が自決するという凄惨な運命に遭遇している。<参考文献>会津武家屋敷発行『激動期の一会津藩家老 西郷頼母』
(家近良樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報