見沼溜井・見沼代用水(読み)みぬまためい・みぬまだいようすい

日本歴史地名大系 「見沼溜井・見沼代用水」の解説

見沼溜井・見沼代用水
みぬまためい・みぬまだいようすい

見沼代用水は県中央部における重要な用水路で、足立郡八ヵ領二二一ヵ村・七万四千石の水源であった見沼溜井を享保年間(一七一六―三六)に干拓、その代りの用水路として開削されたため見沼代用水の名がある。現在も関東平野最大の農業用水である。開削時以降昭和四三年(一九六八)三月まで現行田市の下中条しもちゆうじよう利根川から取水していたが、同年四月からは利根大堰から毎秒四四・六三立方メートルを一括取水するようになった。

〔見沼溜井〕

見沼溜井は、寛永六年(一六二九)荒川の瀬替えに着手した関東郡代伊奈忠治が、見沼周辺で最も狭い木曾呂きぞろ(現川口市)から付島つきしま(現浦和市)に至る八丁はつちよう堤を築いて上流および周辺からの余水を貯溜、谷古田やこだ平柳ひらやなぎ舎人とねり淵江ふちえ・浦和・戸田・笹目ささめ安行あんぎようの諸領の灌漑用水源とするために造成した貯水池。当時見沼周辺は入江いりえ沼・はと沼・鶴巻つるまき沼など多数の沼が散在する沼沢地であったが、八丁堤の築造により周囲一〇里余の溜井が生れた。水深は平均三尺であったという(見沼代用水沿革史)正保国絵図にはほぼ南北に延び、南部で東西に広がる池沼が描かれ、三沼と記されている。

築堤後、溜井の貯溜が進むにつれて周辺諸村では水没する田が多数出現した。田園簿には溜井造成による沼欠けを示す「見沼水流荒」と注した田高が堀之内ほりのうち村・大宮氷川明神社領・本郷ほんごう村・今羽こんば(現大宮市)などに散見する。このほか大和田おおわだ(現同上)地頭伊達与兵衛房勝の天正一九年(一五九一)の知行拝領覚(浅子家文書)、同年の中丸なかまる(現同上)検地帳(大島家文書)の裏書、片柳かたやなぎ(現同上)の万年寺記録・万年寺略詩吟(万年寺文書)、承応三年(一六五四)の見沼水没地知行所替地覚(岩井家文書)などごくわずかであるが、沼欠けに対する替地や伽藍移転の記録が残されている。以上の六ヵ村・二寺社領だけでも石高一千三七〇石九斗余に対し、水没田は三二九石五斗余を数え、村高比は二四パーセントにもなる。片柳村万年ばんねん寺は天正一九年に朱印高二〇石を拝領したが、そのうち千駄野せんだの耕地五石分は慶長一九年(一六一四)染谷そめや(現大宮市)に替地となり、次いで寛永六年には「見沼水いかり」(水没田)分として一一石八斗余が高畑たかばたけ(現浦和市)に代替となった(万年寺記録)。また万年寺略詩吟によると、田の水没は寛永六年に始まり、しだいに溜井の水量が増加してくると、万年寺付近の農家二三軒とともに元禄(一六八八―一七〇四)の初め北西の地に移転したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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