見目浦
みるめうら
古代よりみえる壱岐郡の浦。現勝本町の串山半島と小櫛山の間にある浦に比定される(壱岐国続風土記)。一帯に集の辻古墳群、串山ミルメ浦遺跡があり、また塩焼を行っていたとされる塩屋浦、元寇の古戦場という千人塚などの遺跡がある。弘仁七年(八一六)頃壱岐に二関および二四ヵ所の火立場が置かれたというが、吉野家記録では両関は可郷の見目関と、箱崎村(現芦辺町)の屋頭の関であるという(壱岐郷土史)。この措置は弘仁六年壱岐に異賊が襲来したためで、見目に関と要害が設けられたとも伝える(壱岐名勝図誌)。承和二年(八三五)新羅の商人が頻繁に「壱伎島」の周辺に現れるとして、島の徭人三三〇人に兵仗を帯びさせ、島内一四ヵ所の要害の崎に配するよう大宰府が上申し、認められているので(「続日本後紀」同年三月一四日条)、当地にも配備されたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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