デジタル大辞泉
「清原深養父」の意味・読み・例文・類語
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きよはら‐の‐ふかやぶ【清原深養父】
- 平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。房則の子。元輔の祖父。内蔵大允。寛平~延喜(八八九‐九二三)頃の人で、後年、京都北山に閑居。琴にすぐれた。歌は、「古今和歌集」「後撰和歌集」などに収録。家集「深養父集」。生没年未詳。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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清原深養父 (きよはらのふかやぶ)
平安前期の歌人。生没年不詳。房則の子で,元輔の祖父,清少納言の曾祖父。908-923年(延喜8-延長1)ごろ,低い官職にあり,歌人としてはそれ以前の896年(寛平8),905年ごろの歌合に1首ずつ出詠している。《古今集》以下の勅撰集に40首,家集に《深養父集》がある。歌風は《小倉百人一首》に採られた,ちょっとした思いつきを平易に表現した〈夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ〉(《古今集》巻三)などに代表される。
執筆者:小沢 正夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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清原深養父
きよはらのふかやぶ
生没年未詳。平安中期の歌人。908年(延喜8)内匠允(たくみのじょう)、923年(延長1)内蔵(くら)大允、930年従(じゅ)五位下(『古今集(こきんしゅう)目録』)の官位のみ知られる『古今集』時代の歌人。房則の息で、孫に歌人元輔(もとすけ)、曽孫(そうそん)に清少納言(せいしょうなごん)がある。補陀落寺(ふだらくじ)を建立したと伝えられる(『拾芥抄(しゅうがいしょう)』、『井蛙抄(せいあしょう)』)。『深養父集』があり、『古今集』以下の勅撰(ちょくせん)集に41首入集(にっしゅう)。中古三十六歌仙の一人。藤原清輔(きよすけ)は『袋草紙(ふくろぞうし)』で、深養父が『三十六人撰』に入らなかったのを不審としている。
夏の夜はまだ宵(よひ)ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ
[杉谷寿郎]
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清原深養父
きよはらのふかやぶ
平安時代中期の歌人。寛平~延長 (889~931) 頃生存。中古三十六歌仙の一人。天武天皇の末孫で,房則の子。清少納言の曾祖父にあたる。延喜8 (908) 年内匠允,延長1 (923) 年内匠大允,同8年従五位下と官位は低かったが,歌人として聞え,『古今集』以下の勅撰集に 41首入集している。家集として『深養父集』1巻が宮内庁書陵部に伝わる (65首所収,うち 10首は他人の作) 。そのほか合せて 74首の和歌が知られる。古今風の主観的,観念的な歌風。『後撰集』巻四に,夏の夜,藤原兼輔と紀貫之が深養父の琴を弾くのを聞いたという和歌があり,2人と親交があったことがわかる。晩年は洛北の市原野に補陀落寺を建てて住んだという。 (→清原氏 )
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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清原深養父 きよはらの-ふかやぶ
?-? 平安時代前期-中期の官吏,歌人。
清原元輔(もとすけ)の祖父。中古三十六歌仙のひとり。延長元年(923)内蔵大允(くらのだいじょう)。紀貫之(きの-つらゆき)らと交流があり,琴をよくした。「古今和歌集」以下の勅撰(ちょくせん)集に41首はいる。家集に「深養父集」。
【格言など】夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ(「小倉百人一首」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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