見砂村(読み)みしやごむら

日本歴史地名大系 「見砂村」の解説

見砂村
みしやごむら

[現在地名]志雄町見砂みさご

走入はしり村の南、越中国境にある山村で、本在所(本村)のほか入道原にゆうどうはら釜鍔かまつば向原むかいばらの三垣内がある。うす峰氷見みねひみ街道が近くを通る。正保郷帳によると高一〇九石余、田方三町三反余・畑方三町九反余、免二ツ八歩四厘。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高一二六石、免四ツ五歩、新田高八石、小物成は山役六八匁・苦竹役一匁、鳥役四匁(出来)であった(三箇国高物成帳)。天保年間(一八三〇―四四)の村明細では高一九九石余、家数四〇(うち頭振三)・人数一二八、稼は炭焼・苧。地滑り地帯で土質が悪く、米作のほか大麦・小麦・稗・芋・野菜類をわずかに産出、幕末には小物成に紙漉役二四匁があり、八軒がこれに従事した(明治元年「巨細帳」岡部文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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