覚範寺跡(読み)かくはんじあと

日本歴史地名大系 「覚範寺跡」の解説

覚範寺跡
かくはんじあと

[現在地名]米沢市遠山町 御伊勢林

天正一四年(一五八六)伊達政宗が父輝宗の菩提を弔うため、虎哉宗乙(美濃から輝宗に招請され、夏刈資福寺に住持)開山として遠山とおやま村に創建したと伝える。同一九年政宗の陸奥岩出山いわでやま移封により同所に移され、当地の寺は廃寺となった。昭和六二年(一九八七)覚盤寺の地名をもつ愛宕あたご(五三四メートル)の北東麓の台地の一部が発掘調査された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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